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2007年1月23日 (火)

寄書き

先日、「美の巨人たち」というテレビ番組に、平櫛田中が取り上げられていました。

メインとなった作品は「鏡獅子」。
そのモデルが、六代目尾上菊五郎だと聞いて、少し腑に落ちたことがあります。

平成4年に都内在住の方から、「日章旗」をご寄贈いただきました。

戦時中、出征する兵士のために、日章旗に寄書きをするということが、広く行われていました。
今でも、新聞などを見ていると、戦地でそうした日章旗を記念に拾って帰ったアメリカ兵が、それを遺族に返還したいので持ち主を探している、というような記事が、たまに掲載されています。

吉川英治のような著名人のもとには、そうした日章旗への揮毫依頼が、多くあったようです。

このご寄贈いただいた日章旗も、昭和18年、出征にあたって、ご寄贈者の方が近所に住んでいた吉川英治の弟を介して、吉川英治に揮毫依頼したものだと言うことでした。

日の丸の右側に、「旭旗赴處即皇天 為○○○○君 吉川英治」と墨書されています。
そして、実は、左側には、「武運長久 平櫛田中」と墨書されているのです。

これについて、ご寄贈者の方は、吉川英治には揮毫を依頼したが、平櫛田中に依頼した覚えはない、とおっしゃるのです。
だとしたら、この日章旗が持ち込まれた時、偶然、平櫛田中が同席していた、という可能性があるわけですが、吉川英治と平櫛田中の間に交流があったという話は、あまり聞きません。

ただ、吉川英治も六代目とは交流がありました。
六代目は、吉川英治の「新書太閤記」を、まだ連載中だった昭和14年に、早くも舞台化し、翌15年にかけて、「藤吉郎編」「秀吉編」を上演しているのです。
その役作りを通して、深い交流をもったことが、吉川英治の随筆に書き残されています。

一方の平櫛田中も、この「鏡獅子」の製作のため、昭和12年頃から実際の舞台を見たり、試作を繰り返したりして、昭和33年に作品を完成させます。

六代目を間に挟めば、昭和18年に、二人が何かの形で同席したことは、十分にありえます。

もし、この日章旗に、六代目の署名もあれば、確実なのですが。

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