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2007年1月28日 (日)

有馬家文書-その3

さて、「丸岡有馬文書」ですが、その内容については元東大史料編纂所教授の高木昭作氏が、当館の館報「草思堂だより」に詳しい解説を書いてくださっています。
現在は記念館のサイトからのリンクを切ってありますが、サーバー上には残っているので、こちらからご覧ください。

高木氏の文章と話が重複しますが、この「丸岡有馬文書」は、ひとつには島原の乱の原城攻略に際しての有馬直純の武功を証明するものであり、もうひとつには後日の評判を含めて、その一切を有馬家の名誉として記念し、保存したものである、ということになります。

「宮本武蔵書簡」は、原城落城直後に有馬直純からの書状への返書として書かれたと考えられています(冒頭に「尊礼忝き次第に存じ奉り候」とあり、末尾に「即剋(刻)」とあることから)。
そして、その中には確かに「殊に御父子共、本丸まで早々に成られ御座候こと、遍に驚目申し候」と、有馬直純の武功を讃える一文が含まれています。
有馬直純の武功を証明する書簡であることが伺えます。

その上で興味深いのは、この文書の中に宮本武蔵が名を連ねていることです。

宮本武蔵は、島原の乱において、養子・伊織が仕える豊前小倉藩主・小笠原忠真の甥で豊前中津藩主・小笠原長次に従って出陣したとされています。

年若き長次の後見的役割ではなかったか、という説もありますが、仮にそうだとしても、れっきとした大名である有馬直純の武功を証明する者としては、身分の釣り合いが取れていない気がします。

実際、リンク先にある文書全体のリストを見れば分かる通り、他は、名だたる大名・旗本ばかりです。

そこに名を連ねることが不思議ではないほど、宮本武蔵は著名人であったということなのでしょうか。

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