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2007年1月27日 (土)

有馬家文書-その2

「宮本武蔵書簡」の宛名が有馬直純(書面上の宛名は“有左衛門佐”)であることはよく知られています。

「その時歴史は動いた」でも紹介されていたように、当時、島原を治めていた日野江藩主・有馬晴信は岡本大八事件により改易となり、死に至ります。
しかし、有馬家は断絶したわけではなく、日向延岡に転封となります。
この時、晴信を継いで日向延岡藩主となったのが、晴信の長男・直純です。

後に有馬家は越後糸魚川を経て、越前丸岡藩に再度移封となり、そこで明治維新を迎えます。

当館で所蔵する「丸岡有馬文書」は、この有馬家に代々伝わったもので、近代になって有馬家から流出、それを入手した古書店によって、戦後、吉川英治のもとに持ち込まれたものです。

このあたりのいきさつについて、吉川英治は「島原役における彼の書簡」(『随筆宮本武蔵』所収)という文章を残しています。
ただ、吉川英治は、そこでこの書簡を「新発見の一書簡」と書いていますが、実際には明治18年に修史局(現・東大史料編纂所)によって、この書簡を含めた文書全ての写本が作られています。
この写本をもとに、東大史料編纂所から写真撮影の依頼がきたというわけです。
ですから、吉川英治の報告によって広く世に知られることになったものではありますが、「新発見」というのは、少々オーバーです。

さて、昨日、俗に「丸岡有馬文書」と呼んでいる、と書きました。
この文書群は、ひとまとめにして漆箱に収められていますが、その箱には「原城落城之砌書状 十六通」と書かれており、これが正式な名前と言えます。

そのタイトル通り、島原の乱の最後、原城の落城に関連して有馬直純に送られた書簡など18点(書簡以外のものが2点含まれるので)を一括して保管したものです。

「宮本武蔵書簡」は、その中の1通だったのです。

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