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2007年1月30日 (火)

有馬家文書-その5

「宮本武蔵書簡」を取り上げた文章において、よく言及されるのが

拙者も石にあたり すねたちかね申故

という一節です。

「あわれ剣豪武蔵も一揆の民の投石にあって負傷するとは」という、ある種、意外な歴史こぼれ話として紹介されているのを目にした方も多いでしょう。

実戦とは乖離した、むしろそうであるが故に発達した剣術の滑稽。
武蔵自身の老いの悲哀(島原の乱の終結は武蔵が没する8年前のこと)。

そういうニュアンスが、そこには込められています。

ただ、「丸岡有馬文書」自体に、有馬直純の武功の証明という意味合いがあるのなら、当然その裏返しもあると考えなければなりません。
有馬直純が原城本丸まで攻め込んで行ったことを証明することは、自身もまたそこにいたことの証明でもあるはずです。
その上で考えれば、石にあたったというのは、それだけの最前線に自分はいたということを誇示しているとも受け取れるように思います。

書簡は上記の一節のあと

御目見にも祗候不仕候

と続いています。
「ご挨拶に伺うべきところ(石にあたって怪我をしたため)それも出来ません」というようなことでしょう。

実際には、乱の終結直後では大名である有馬直純は様々な戦後処理に多忙であったはずで、面会に行けば邪魔なだけだったのではないでしょうか。

そのあたりに配慮して、しかし、上の身分である相手に恩着せがましい印象を与えることなく、挨拶に出向かないことの口実として、「私は怪我をしています」と書いたのではないか。
だから、石にあたってなどいない、あるいは、あたっていても大した怪我ではないのではないか。

この時代の歴史に疎い私の、単なる想像ですが。

それにしても、この「宮本武蔵書簡」が返書であるなら、当然、有馬直純から武蔵への書状もあったはず。
それが残っていれば、もっと詳しいことが分かるはずです。

どこかから発見されないでしょうか。

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