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2007年1月19日 (金)

顔づくり

吉川英治記念館では定期刊行物として館報『草思堂だより』を発行しています。
いま、その最新号の編集作業中ですが、今日、そこに掲載する広告の原稿が届きました。
講談社のもので、「田中宥久子の造顔マッサージ」という本のものですが、「造顔」という言葉で、ちょっと引っ掛かりました。

吉川英治に「顔づくり」という文章があります。

(前略)作品だけでなく顔作りもままになりません。独りで書斎にこもっている終日にはいつか鬼みたいなものになってしまいます。そんなときムリに机から顔を剥がして客間へ出ると、客に恐いような顔つきを見せはしまいかと惧れられます。ですから机を立つ前に一呼吸して、切れ物みたいに研がれている自分の顔をなでまわし、つとめて柔らげてから応接へ立ってゆきますが、それでもときによって頭のなかの幻想がまだ醒めきれない顔をしているにちがいないと思うことがしょっちゅうです。

つまり、吉川英治の言う≪顔づくり≫とは、顔の切り替えということになるでしょうか。

同じことはある人物との対談でも語っていて、そこでは、顔を切り替えるために、人と会う直前にタバコを一服する、本当は1本吸いたいけれど、あまり待たせても悪いので、半分ほど吸ってから出て行くことにしている、ということを言っています。

顔が変わるほどの執筆中の作品への集中度、客に嫌な思いをさせたくないという配慮、そして、客から嫌な奴だと思われるのもイヤだと言う少しばかりの見栄、そんなものが感じられる文章です。

ちなみに、「顔づくり」の冒頭には

年をとるにつれていい顔になってゆきたいものと希っています。

と書いています。
年齢にふさわしい、円熟した顔になりたいと望んでいるわけで、広告の本の「10年前の顔になる」という謳い文句とは、言ってみれば真逆ですが、そのあたりは男と女の違いなのでしょうか。

それとも時代なのでしょうか。

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