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2007年2月28日 (水)

あるぷすと高野

昨日触れた「あるぷす大将」については、以前、その雑誌連載時のペンネームのことを書いたことがあります。

もうひとつ、「あるぷす大将」の連載については、ちょっと普通ではありえないエピソードがあります。

「あるぷす大将」は、『シオカラ虫の巻』『バクダン夫人の巻』『ジャズと尺八の巻』『廃業先生の巻』『着逃げ有馬の巻』『宝塚の巻』『断食武勇伝の巻』『高野の巻』『目高と田螺の巻』『都会放浪の巻』『鉄梯子の巻』の11章からなっています。
「あるぷす大将」は、雑誌『日の出』に連載されていたのですが、このうち『高野の巻』のみが『文藝春秋』に掲載されたのです。

『日の出』は新潮社の雑誌であり、『文藝春秋』は文藝春秋社の雑誌です。
連載中の小説を1回だけとは言え他誌に掲載するなど考えられないことです。

ちなみに、『日の出』の方を休載して『文藝春秋』に書いたのではなく、『日の出』に連載しつつ、別途『高野の巻』を『文藝春秋』に書いています。

なぜ、そんなことになったのか。

それは『高野の巻』が掲載された『文藝春秋』昭和9年4月号が、直木三十五の追悼号だったからです。

昭和8年の夏、吉川英治は高野山にしばらく滞在します。
この時、直木三十五も夏季大学の講師として高野山に来ていたのですが、入れ違いになって2人は会えませんでした。

その時の思い出を活用して、『高野の巻』は書かれています。

高野山を訪れた≪大将≫たちが、そこで作家の≪並木四十三≫の姿を見かける、という設定で、書かれているのです。
「四十三」は直木三十五の享年であり、もちろん、この人物は直木三十五をモデルにしたものです。

≪並木四十三≫を通して直木三十五の印象を描写し、彼への評価を登場人物の口を借りて語っているのです。

なぜ、そんな回りくどいことをしたのか、ということまでは分かりませんが、吉川英治は、この章に追記して、こう書いています。

風貌の描出、似せんとして似ざるの非、罪大なりといえど、故人また、常に地下の人を拉し、戯作弄弁するの癖あり、転縁今日君にいたる。苦笑せられよ。

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