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2007年3月31日 (土)

社交性と気配り

全国文学館協議会の共同討議に参加してきました。

今回のテーマは、昨年の資料情報部会の発表を踏まえて、資料の収集から公開にいたる流れの中で、文学館に求められるのはどのようなことであるか、どうのように諸問題に対処すべきか、というようなことでした。

資料の収集については、どの館も予算が潤沢ではない中、作家やその遺族、研究者やコレクターといった方々からの寄贈に頼らざるをえないという状況があります。
そうした方々との人間関係を如何に上手く保つかが、文学館職員に求められる資質の重要な要素であろうということが、議論の一つの話題となりました。

もちろん、それは資料の収集についてばかりではなく、そうした方々の支えがあってこそ文学館は維持できるという点からも、大切なことです。

討議の中で、そうした点について、美術館員に比べると、文学館員はまだまだ足りない、という意見がありました。

確かに、美術館員が書いたエッセイなどを読んでいると、あるコレクションを手に入れるために、如何に相手の懐に入り、それを寄贈に導くか、などという話が出てきたりして、感心すると同時に、自分にはなかなか出来ないことだなぁ、と嘆息したりしてしまいます。

美術館に比べて、文学館は歴史が短いため、経験が不足しているということもあるのでしょうが、しかし、社交性と気配りは、どのような仕事であっても重要なものです。

恥ずかしながら、私の欠けている部分としてよく指摘されることでもあるので、非常に耳が痛かった(苦笑)

さて、そうした経験の積み重ねや継承を阻害しかねないものとして、やはり指定管理者制度への不安が口にされていましたが、それは繰り返しになるので、このあたりで。

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2007年3月30日 (金)

ショウジョウバカマ

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ショウジョウバカマです。

花の赤さを「猩々」に、葉の重なりを「袴」にたとえた名前だということですが、当館のものは、花が白っぽいですね。

写真は昨日の朝に撮ったもの。
ちょっと目立ちにくい所に咲いていますが、探してみてください。

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2007年3月29日 (木)

花びらの白い色は

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今年も白花のカタクリが咲きました。
写真は今日のものですが、開花は昨日です。

それにちなんで、いま咲いている白い花をいくつか。





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ワサビです。

昨年も書きましたが、意外と可愛い花です。




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ニリンソウも咲き始めています。

まだ咲き始めで、本格的に咲くのは、これからですね。




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ユキヤナギは満開です。

背後の紅梅に、もう少し花が残っていたら、良かったのですが。

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2007年3月28日 (水)

下ネタの続き

さて、昨日触れた≪下ネタ≫の後に、興味深い記述がありました。
三角寛の発言の中に、このようなことが書かれていました(お金と時間をケチってコピーしてこなかったので簡単なメモに基づいて書いています)。

例の≪タツタ峠≫から降って青梅に出た所で多摩川にぶつかります。
そこにかかる長い橋の上から川を見ると、“晒し布”が行われていました(注:かつて青梅は織物業が盛んな町でした)。
吉川英治はそれを飽きることなく眺め、「ああ、いい」と何度もつぶやいていたそうです。

それに対して三角寛は、あの時から吉川英治はあの辺り土地に対して、何か特別な思いを抱くようになったのだろう、だからいま青梅に実際に住んでいるんだ、というようなことを言っているのです。

実は、私も、この五日市-青梅旅行と、後に記念館がある吉野村(現青梅市)に家を買ったことの間には、何かつながりがあるのではないか、と思ってきました。
しかし、吉川英治がこの旅行で青梅に対してどういう思いを抱いたかということが分かる資料がありませんでした。

この三角寛の言葉は、簡単なものですが、私の考えに対する裏付けになりうるものです。

ちなみに、昨日は書きませんでしたが、「衆文」創刊号は昭和8年8月に出ています。
旅行はその直前、鮎とりに適しているという時期なら、6月くらいでしょうか。

そして、吉川英治が吉野村の家を購入するのは、昭和14年。
この時、自分は家の下見をせず、文子夫人を下見に行かせ、その報告だけで購入を決断しています。
既に青梅という土地への好感があればこそ、そのような思い切ったことが出来たのだ、と思うのです。

ただし、疎開のため実際に移り住むのは昭和19年でした。

10年越しの念願、ということになるのでしょうか。

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2007年3月27日 (火)

ちょっと下ネタ

ちょっと調べごとがあって、図書館で雑誌「オール読物」の1950年代のものをしらみつぶしにしていたところ、面白い記事を見つけました。

昭和26年6月号に掲載された座談会『輝ける二百号(「オール」の歩み)』というものです。
座談会参加者は永井龍男・岩田専太郎・濱本浩・今日出海・徳川夢声・三角寛。
タイトルの通り、創刊200号を迎えた「オール読物」の思い出を語る座談会ですが、この中に吉川英治が登場します。

当時の若手作家が、「オール読物」の常連作家となるべく切磋琢磨しようという名目の下に≪燈下会≫という会を作ったところ、既に名を成していた吉川英治も平会員として参加してくれた。
その燈下会で、東京の五日市から青梅にかけて旅行をした。
その時、五日市で執筆していた三角寛から、ここでは鮎の手づかみが出来ると聞いたのがきっかけで、五日市に行って鮎とりをして、それから歩いて山越えして青梅に出ようというものだった。
さて、青梅への道の途中、峠の頂で休んでいる時、北林透馬が「強姦の実演」(モノマネということだろうか)をして見せたところ、吉川英治に“異変”が起こった。
それに気づいた一行が、吉川英治を冷やかして、今後、この峠を≪タツタ峠≫と命名しようじゃないかなどとからかった。

という話です。
発言者は濱本浩と三角寛。

実は、この旅の様子は、吉川英治が主宰した雑誌「衆文」の創刊号に掲載された平野零児の『鮎に遊ぶ』という文章でも紹介されており、それは読んでいたのですが、そこにはこんな話は書かれていませんでした。

ちなみに、『鮎に遊ぶ』には、参加者として吉川英治、濱本浩、三角寛、中野實、永井龍男、北林透馬、小島健三、平野零児の名が挙がっています。
座談会の席では、この話に口を挟んでいない永井龍男もその場にいたわけです。

同行者のうち二人が口にして、もう一人も異を挟まなかったところをみると、実際にあったことなのでしょう。

吉川英治というと、伝わる話が人格者めいたものばかりで、こういう下ネタはあまり残っていません。
でも、少しはこういう話がある方が、親しみがもてるというもの。

ということで、ご紹介してみました。

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2007年3月25日 (日)

時代小説人物事典

という書籍を、版元からご寄贈いただきました(歴史群像編集部編 学習研究社刊 2007年4月9日発行)。
ありがとうございました。

タイトル通り、多くの時代小説を登場人物中心で紹介したものです。

吉川英治の作品では「剣難女難」「鳴門秘帖」「貝殻一平」「宮本武蔵」が取り上げられています。
「鳴門秘帖」「宮本武蔵」は、類書でもしばしば取り上げられるものですが、「剣難女難」に「貝殻一平」とは面白い選択です。

また、『時代小説を見に行く』というコーナーに吉川英治記念館も取り上げられています。
開館を1978年と間違えてはいますが(正しくは1977年)。

ちなみに、文学館としては、他に池波正太郎記念文庫・大佛次郎記念館・司馬遼太郎記念館が紹介されています。

興味のある方はご一読を。

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2007年3月23日 (金)

訃報

昨日、城山三郎さんがお亡くなりになりました。
記事によれば、1927年生まれで、享年79歳とのこと。

城山さんは、「落日燃ゆ」で昭和50年に第9回吉川英治文学賞を受賞なさっています。
また、平成3年から、吉川英治文化賞の選考委員をお勤めいただきました。

私は直接お話しする機会には恵まれませんでしたが、当財団とは縁の深い方です。

ご冥福をお祈りいたします。

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2007年3月22日 (木)

「ナイトミュージアム」鑑賞

せっかくなので、映画「ナイトミュージアム」を観に行きました。

舞台が博物館ということで、身につまされること多々。

映画の中の事件の端緒となるのは、入館者の減少に悩むニューヨークのアメリカ自然史博物館が、人件費の節減のため、それまで3人いた夜間警備員を全員解雇し、新たに1人だけ警備員を雇おうとしたこと(その新人警備員が主人公)。
当館も、入館者の減少に合わせて、警備会社に駐車場の警備員を依頼する日数を減らして、経費を抑えているので、他人事ではありません。

堅物で神経質な博物館の館長が、館内ガイドの女性職員に、子供が展示物に触れないようにちゃんと監視するように注意する場面があります。

わかるなぁ、その気持ち。

どうして人間は、触れるなと表示があるものを触ろうとし、入るなと表示がある場所に入ろうとするのでしょう。
好奇心のなせる業なのはわかりますが、そこをちょっとだけ理性を働かせてもらえれば、お互い気持ち良く過ごせるのですが。

それと、子供がはしゃぎまわるのは、他の来館者への迷惑になりますし、当館のような場所ではその子供自身の怪我にもつながります。
子供を大人の秩序に従わせるべきなので、大人が子供の論理におもねってはいかんでしょう。

しかし、一番感じたことは、博物館というのは危険な場所だな、ということ。

博物館の展示は、一見静かなものに見えて、その背景には、色々な「罠」が潜んでいます。
博物館はただ資料を並べているわけではなく、その内容や構成を考え、決定する人間がいます。
展示には、その人間の考え方、思想、イデオロギー、何と言ってもいいですが、そういうものが「表現」されているのです。

私は実際のアメリカ自然史博物館に足を運んだことはありません。
ですから、映画の中に登場した展示物が、どの程度実際のものと一致しているのかは、わかりません。

その上で言いますが、映画に現れている展示は、いささか白人中心的過ぎやしないでしょうか。

チラッとだけ出てくる、アメリカ大陸横断鉄道工事での中国人労働者や、重要な登場人物であるアメリカ先住民女性サカジャウィアなどの描写は、あれで良いのでしょうか?

かのアッチラ大王を、幼児期のトラウマで粗暴な大人になってしまったかのように扱うのは、コメディとは言え、どうなのでしょう?

映画としてのデフォルメはあるにせよ、アメリカ自然史博物館もそれで良しとしたからこそ、この作品が公開されているのでしょう。
したがって、映画に透けて見えるイデオロギーは、実際の展示にも見えるものなのでしょう。

博物館の展示をそのまま真に受けてはいけません。
博物館は安全な死んだ施設ではありません。
危険な生きた施設なのです。

そんなことを感じる映画でした。

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2007年3月21日 (水)

輝ける文士たち

という写真集を書店で見かけたので購入しました。

著者は樋口進。掲載されている写真の撮影者も同じです。
文藝春秋から今年の2月25日に刊行されています。

吉川英治の写った写真も7枚収録されています。

いますが、若干の事実誤認がありますので、ここで訂正しておきます。

「一家団欒」というコーナーに『吉川英治一家』という写真がありますが、その説明にこうあります。

昭和32年、当時、青梅の吉野村にあった自宅で新春を祝った。

吉川英治は、昭和28年8月に吉野村から都内品川区北品川の御殿山に転居していますから、昭和32年ではありえません。
同じ写真は当館では所蔵していませんが、他の写真と比較してみると、昭和27年と思われます。

もう1枚、「小説を作る部屋」というコーナーに紹介されている吉川英治書斎の写真がありますが、そこにはこう書かれています。

吉川さんは、何ごとも一部屋ですむよう、赤坂の家の洋間を改造して書斎にしておられた。(略)(撮影 昭和32年)

まず、吉川英治の戦後の転居歴をみるとこうなります。

昭和19年3月~28年8月 吉野村(現青梅市)
昭和28年8月~32年5月 品川区北品川
昭和32年5月~33年6月 渋谷区松涛
昭和33年6月~37年9月 港区赤坂(死亡時まで)

つまり、赤坂に住んだのは昭和33年6月以降のことで、昭和32年には赤坂にはいません。
また、その赤坂の家は、吉川英治自身が設計に注文をつけて建てた家で、書斎は初めから和室でした。

写真は実際には渋谷区松涛の家でのものです。
撮影は昭和32年で間違いないと思います。

ただ、この書斎は約1年しか使用していません。
しかもその半分は「新・平家物語」脱稿から「私本太平記」起稿までの執筆休止期間中にあたります。
あまり吉川英治の書斎として代表的な場所とは言えません。

貴重な写真には違いありませんが。

以上、細かいことですが、念のため。

070327追記

お恥ずかしい。
写真の書斎は、松涛ではなく北品川の時のものでした。
この北品川の家は、全体が洋館で、したがって書斎も洋室でした。

ただ、やはりそれが気に入らなかったのか、当時所有していた熱海と軽井沢の別荘に頻繁に出かけて、そこで執筆することが多かったようです。

なお、写真に写っている文机、筆筒、座布団は、いま記念館で復元している書斎に置いているものです。

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2007年3月20日 (火)

写真

こんなお電話がありました。

もう梅は終りだと思うけど、これからは何があるの?

吉川英治記念館は、文学館であると同時に、広い庭内で様々な花を見られることも“売り”にしています。
このブログの≪草思堂写真館≫というカテゴリーでも、その一部を紹介しています。

「そうですね、ピークは過ぎましたが梅もまだ見られますし、カタクリも咲いていますよ」とお答えしたところ、

写真やってるんだけど、これから何が見られるの?

と重ねて問われました。
花の写真を撮るのがお好きなのかと思い、ミツマタミツバツツジなどの名を挙げましたが、どうもピンとこない様子で、「は?」とおっしゃるので、まだ咲いていないとお答えしました。

しかし、面妖なお電話です。

「写真をやる」って、シャッターを押すだけのことですかね?
自分の興味に合う、自分好みの被写体を、自分の足で探す、そういうことを含めて、「写真をやる」というものなんじゃないのでしょうか。

人に教えてもらって、ある場所にある時期に行って、その通りのものを写真におさめて帰ってくる。
そんな効率だけを重視したようなのが、面白いんでしょうか。

自分の頭で考えて、自分の創意で写真にする。
それが楽しみなんじゃないかと思うのです。

ということで、こういうコンテストもやったりしていますので、ぜひどうぞ。

牽強付会だ(苦笑)

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2007年3月18日 (日)

抽選会無事終了

吉川英治記念館開館30周年記念謝恩抽選会は先ほど無事終了いたしました。

3日間の期間中に約2000人の方々にご来館いただきました。
ありがとうございました。

実を言えば、用意したくじの本数よりも来館者数の方が少なかったのですが、上位の2本ずつしか入れていない賞が、全て出ました。

用意したくじの本数からすると、1500分の1の確率だったのですが。

運の強い人はいらっしゃるものですね。

それはともかくとして、これから先、40年、50年と積み重ねていけるよう、努力したいと思います。

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2007年3月17日 (土)

抽選会二日目

昨日に引き続き、本日も吉川英治記念館開館30周年記念謝恩抽選会を開催しました。

2日を経過して、まだ上位の賞が残っています。

館長賞=「吉川英治余墨」は2冊用意して2冊とも、「三国志」賞=陶彫塑「三国志」から曹操も2体用意して2体とも残っています。
「宮本武蔵」賞=新書版「宮本武蔵」全7巻(2セット)、特別賞=東京ディズニーランド入場券(大人2名分×2組)、青梅柚木賞=3000円クオカード(2枚)も、まだ1本ずつ残っています。

明日ご来館いただくと、上位の賞が当たる確率が高いですよ、きっと。

お待ちしていますので、ぜひどうぞ。

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2007年3月16日 (金)

抽選会初日

本日から吉川英治記念館開館30周年記念謝恩抽選会が始まりました。

こんな感じでお待ちしています。
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館長賞と「三国志」賞以外は、当てた方がいらっしゃいます。
つまり、館長賞と「三国志」賞はまだ出ていません。

まだチャンスがありますので、ぜひどうぞ。

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2007年3月14日 (水)

障子の向こう側

先日の文章について、質問者の方がご自身のサイトで触れておられます。

私はブログ用に大雑把に、なおかつ吉川英治を主体に構成し直して書いてしまったので、そちらもお読みいただくとより詳しい事情が分かります。

しかし、確かに「立場の違いというのは避けられない」ものです。

私は、立場上、吉川英治を中心に置いて、その生きた時代や状況を見ているわけですが、別の人間をそこに置けば、当然、見えるものは変ってきます。

大正時代の吉川英治(当時はまだその名ではありませんが)を考える際、吉川英治が文壇・論壇・画壇への人脈を広げていく上で影響のあった人物と言えば、第一に川柳の師であった井上剣花坊の名が挙がります。
それに次ぐのは、東京毎夕新聞への入社を勧めた矢野錦浪でしょうか。
そして、吉川英治の交友関係となると、互いに親友と許しあった川上三太郎の名がまず出てきます。

吉川英治を通してみると、この3人ぐらいの名は、すぐに出てくるわけですが、言われてみれば、剣花坊あたりはまだしも、確かに川上三太郎は「マイナーな存在」です。
したがって、永代静雄を通してみれば、吉川英治との間をつなぐ存在として、川上三太郎がイメージされ難いのは当たり前といえば当たり前のこと。

そして、逆に、永代静雄・岡田美知代に関心を払ってこなかった私には、2人に対して「蒲団」のモデルという以上の知識はなく、随分いい加減な書き方をしてしまいました。

うーん、浅学をごまかすほどの文章力が、まだ私にはないようですね(苦笑)

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2007年3月13日 (火)

吉川英治記念館開館30周年記念謝恩抽選会

先日、企画展と共にご紹介した謝恩抽選会が今週末に迫ってきました。
改めてご紹介します。

吉川英治記念館は、講談社と吉川家によって設立された財団法人吉川英治国民文化振興会によって、昭和52(1977)年3月23日に開館しました。
今年、平成19(2007)年3月23日をもって、開館から満30年となります。
その間、300万人を越える方々にご来館いただきました。
そこで、皆様方への感謝の気持ちを込めて、下記要領にて、開館30周年記念謝恩抽選会を行うこととなりました。
多くの方々のご来館をお待ちしています。

期間:3月16日(金)~18日(日)の3日間

上記期間中に吉川英治記念館にご来館になった方々に、スピードくじを引いていただき、その場で賞品を差し上げます。

賞品は以下のものがあります。

館長賞=「吉川英治余墨」*1(2冊)
「三国志」賞=陶彫塑「三国志」から曹操(2体)
「宮本武蔵」賞=新書版「宮本武蔵」全7巻(2セット)
特別賞=東京ディズニーランド入場券*2(大人2名分×2組)
青梅柚木賞=クオカード(3000円)*3(2枚)
白梅賞=扇子「門」+スタンド(10セット)
紅梅賞=文鎮「道」+スタンド(10セット)
草思堂賞=テレフォンカード「草思堂」(20枚)
記念館賞=図録「吉川英治 歴史小説の世界」(50冊)
30年賞=吉川英治絵皿(3種類のうちから1点)(500枚)
参加賞=絵はがき(3枚入り)

*1)吉川文子編による吉川英治書画集(現在絶版)
*2)館長吉川英明(吉川英治長男)提供
*3)セブンイレブン青梅柚木店提供

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2007年3月11日 (日)

カタクリ

なんとまあ、もう梅が散り始めました。
例年ならばこれから本格的に花が咲くというぐらいの時期なのですが。
青梅市梅の公園は、まだこれから満開を迎えるというところですが、当館の梅は遅咲きのものを残して、花のピークを過ぎつつあります。

その代わりと言ってはなんですが、カタクリが咲き始めました。
まだ庭内の3ヶ所ほどですが、これからどんどん花が開いていくでしょう。
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2007年3月10日 (土)

保険

本日から、当館から資料を提供した香雪美術館での展覧会が始まります。

また、来月には横浜市にある馬の博物館で開催される「三国志をいろどる馬たち」という展覧会にも資料を貸し出す予定です。

告知はまた直前にするとして、こういう他館への資料の貸し出しの際に頭を悩ませるのは、≪資料の価格≫です。

通常、こういう場合には展覧会の主催側が貸し出す資料に保険をかけるわけですが、そのために貸し出す資料の値段を教えて欲しいと言われるわけです。
それによって保険料が変ってきますから。

以前は割りとざっくりと、全体で幾ら、というような把握の仕方でも許容されていたと記憶しているのですが、今はそれぞれ個別に値段を出すことを求められるようです。

これがなかなか厄介です。

購入した資料なら購入価格が存在します。
しかし、例えば数十年前に5万円だったものが、今幾らするのかなんて、はっきり言って分かりません。
ましてや、寄贈資料で、一度も流通に乗ったことがないものなど、元々値段がありません。

そもそも、そんな保険なんか意味がない、と言う人もいます。
私も、どちらかと言えば、そちら側です。

例えば、展覧会場が火事になって、貸し出した資料が燃え尽きてしまったりした場合、保険金がおりたって、それで元に戻るわけではありません。
一億円の絵が燃えて、それに対して一億円の賠償金をもらったって、札束を飾って眺めるわけにもいきません。

投機目的で美術品を入手した人など、資料を資産としか見ていない場合もあるでしょうが、博物館にとっては資料が資料であることが大事なので、金には代えられません。
損害賠償してもらっても、どうしようもないものです。

とは言え、破れたくらいなら補修できますし、その補修費用は当然、破損させた者が負担するべきですから、そういうリスクには備えるべきでしょうが、それ以上のものとは思えないのです。

まあ、そんなことをぼやきつつ、しかし、それはそれとして要望には応えないといけないので、色々と参考にして、無茶のない値段を決めるわけですが。

正直なところ、適当です(苦笑)

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2007年3月 9日 (金)

蒲団と障子

興味深い問い合わせがありました。

私小説の代表として文学史に必ず登場する作品に田山花袋の「蒲団」があります。
作家と女弟子とその恋人の関係を描いたこの作品は、実際の田山花袋自身の女弟子とその恋人との関係をモデルにしています。
その女弟子が岡田美知代、その恋人が永代静雄です。
2人は仲を裂かれたり、結婚したり、離婚したり、よりを戻したりという関係でしたが、最終的には破局しています。

さて、問い合わせとは、つまるところこういうものでした。

晩年の岡田美知代が、「吉川英治に障子貼りをしてもらったことがある」と述懐しているが、永代静雄・岡田美知代夫妻と吉川英治との間には、どのようなつながりがあったのだろうか?

吉川英治が永代夫妻の家の障子貼りをしたという話は初耳です。
しかし、事実ならちょっと面白い話です。

質問者の方とのメールのやり取りの中で、永代夫妻と英治の間の距離は、決して遠くはない、ということが分かりました。

英治は作家となる直前、東京毎夕新聞に勤務していましたが、永代も東京毎夕新聞に勤務していたことがあります。

また、英治の出世作「鳴門秘帖」も担当した編集者で歌人でもあった安成二郎は、永代と同居していた時代もあったほど親しくしていました。

ですから、永代・岡田の二人と、英治は知己であった可能性は高いのですが、明確な証拠が見出せません。

特に≪障子貼り≫の件に関しては、謎です。

英治が障子貼りをしたとすれば、作家デビューより前の、おそらくは東京毎夕新聞時代の話でしょう。

しかし、実は、英治と永代の在社時期は重ならないのです。
ただ、英治の親友の川柳家・川上三太郎が、英治より前に東京毎夕新聞社に勤務しており、数ヶ月ですが永代と同僚だったことがあるので、そこに糸があるかもしれません。
それ以外にも社内に永代の知己はいたでしょうから、仲を取り持つ人物は存在したでしょうが、確証がありません。

2人と安成との関係ははっきりしていますが、本人の文章によると、英治との出会いは大正15年秋との事で、既に英治が作家となった後のことになります。
それに、安成は永代と英治の関係については、特に書き残してはいません。

結局、永代夫妻と英治の繋がりについては、状況証拠はあるけれど、物証がない、というところまでしか、たどり着けませんでした。

面白い話なので、ちょっと残念です。

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2007年3月 8日 (木)

珍品

来館者の方が展示を見終わった後で、窓口まで来て質問されるということは、しばしばあります。
そういうことは、展示をじっくり見てくださった証しなので、嬉しく思います。

よく質問される事柄というのがいくつかあって、昨日も、そのうちの一つを聞かれました。

吉川英治が受章した文化勲章が展示してあるのですが、その背後に「勲記」を一緒に展示しています。
賞状ですね。

そこに書かれた名前が≪吉川英次≫になっているが、それでいいのか?という質問です。

名前については、このブログにも何度も書いていますが、≪吉川英治≫はペンネームで、≪吉川英次≫が本名です。
勲記にはペンネームではなく、本名の方が書かれているわけです。

さて、今回の質問者の方は、重ねてお尋ねになられました。

では、≪吉川英次≫名では作品は出版されていないのか?と。

一つあります。
これも以前に触れていますが、吉川英治は、作家専業となる前の、東京毎夕新聞社に勤務していた時に、会社の命令で「親鸞記」という小説を紙面で連載します。

この作品、連載時には無署名で掲載されていました。

しかし、単行本化された時、さすがに無署名とはいかず、≪吉川英次著≫と記載されたのでした。

Photo_1
ちなみに、これが証拠写真です。

大衆作家として、吉川英治の作品は飛ぶように売れましたから、単行本の発行部数も多く、吉川英治には稀覯本と言えるものが少ないのですが、この「親鸞記」は、数少ないものの一つです。

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2007年3月 7日 (水)

ナイトミュージアム

少し前から、映画『ナイトミュージアム』の予告編をテレビで見かけるようになりました。

この映画、≪財団法人日本博物館協会推薦作品≫だって、ご存知でしたか?

作品の舞台が博物館ということで、日本博物館協会がこの映画のプロモーションに協力しているのです。

具体的には、協会の加盟館に行くと特別優待割引券が置かれているので、その優待券の角についている応募券と映画のチケットの半券をハガキに貼って送ると、プレゼントがもらえるというわけです。

吉川英治記念館は日本博物館協会加盟館なので、この特別優待割引券を配布しています。

映画に興味のある方は、ぜひご来館ください。

え?
特別優待割引券の割引金額が300円で、お前の所の入館料が500円じゃあ、足が出る?

気にしない、気にしない(微笑)

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2007年3月 5日 (月)

香雪美術館

本日は定休日ですが、休日出勤しています。
他館の展覧会に貸し出す資料の集荷作業があったためです。

杉本健吉が描く「新・平家物語」の世界

会期=3月10日~4月22日
会場=香雪美術館(神戸市東灘区御影町郡家字石野285 078-841-0652)

この展覧会に杉本健吉による「新・平家物語」挿絵原画119点と「新・平家物語」屏風1双を出品します。

「新・平家物語」屏風は、ほぼ毎年吉川英治の命日=英治忌に母屋の座敷に出しているものですが、あまり他に貸し出すことがないので、関西方面の方はこの機会にぜひご覧ください。

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2007年3月 3日 (土)

吉川英治賞発表

発表は一昨日で、新聞掲載は昨日だったのに、今日書くのもなんですが。

今年の吉川英治賞が決定し、発表されました。

吉川英治文学賞は宮部みゆきさんの「名もなき毒」。

宮部さんは「本所深川ふしぎ草紙」で吉川英治文学新人賞を受賞なさっていますから、北方謙三さん・高橋克彦さん・伊集院静さんに続く4人目の両賞受賞者です。

文学新人賞は佐藤多佳子さんの「一瞬の風になれ」。

文化賞は雨宮清さん(地雷除去に貢献)、菊本照子さん(ケニアでのストリートチルドレンの自立支援)、桜井政太郎さん(視覚障害者のため「手でみる博物館」設立)、左野勝司さん(石造建築遺跡の修復・保存に尽力)、堀田健一さん(障害者用自転車の製作)の5者です。

皆さんおめでとうございます。

贈呈式は毎年4月11日ですが、昨年同様、その模様をこのブログに掲載しようと思っています。
お楽しみに。

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2007年3月 2日 (金)

直木三十五記念館

先日の文章に、直木三十五記念館事務局長という方からコメントがつきました。

吉川英治記念館は、ある意味トップダウン的に出来上がった施設です。
公的支援を一切受けていない民間の施設とは言いながら、講談社の強いバックアップがあって成り立っています。

直木三十五記念館は、そのサイトによると、民間の有志によってボトムアップで生まれた記念館のようです。
馬籠の藤村記念館などもそうした形で生まれた文学館ですね。

しかし、直木三十五の記念館を成り立たせるための資料収集は、なかなか難しいのではないでしょうか。

直木は昭和9年没ですが、戦前の出版界では、そういう作家の資料を大事にしようというような風潮はなかったでしょうし、直木の直系の子孫は早くに亡くなってしまってこの世にいらっしゃいませんので、資料は散逸してしまっているでしょうから。

吉川英治の資料は吉川家で多くが保管されていましたが、それでも戦前のものは欠落がたくさんあります。
例えば朝日新聞紙上に1000回以上連載された「宮本武蔵」でも、当館で所蔵している原稿は2回分だけ。
朝日新聞大阪本社にあと3回分ほどあるらしいのですが、残りの1000回余りの分はどこにあるのやら。

それはそれとして。

せっかくなので、当館で所蔵している直木三十五の資料をご紹介しておきましょう。
と言っても、差出日不明の書簡が1点あるだけなのですが。

これは、吉川英治に対して、君の「本町紅屋お紺」という小説を映画化させてくれ、と依頼しているものです。

実は、この小説は、『講談倶楽部』昭和7年1月号に第1回が掲載されたものの、ある事情から、そのまま中絶してしまった作品なのです。
当然、映画化出来ようはずもなく、この話は成立しませんでした。

両者の関係からすると、もっとあってもよさそうなものですが、これだけです。
残念なことです。

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2007年3月 1日 (木)

割引クーポン

本日から吉川英治記念館の開館時間は冬時間から平常時間に戻り、閉館時間が17時となります。
入館受付はその30分前、16時30分ですのでお気をつけください。

先日、スタンプハイクで入館料を割引サービスしていることをご紹介しましたが、他にも、以下のものに割引クーポンがついていますので、どうぞご利用ください。
いずれもJRの駅で配布されているパンフレット(太字がメインタイトル)です。

「第28回 奥多摩・秋川 大多摩春まつり」(期間=2月24日~5月13日 クーポン枚数=4枚)
「2007春 電車で行こう、花盛りの里へ。 東京のふるさと 青梅・五日市線の旅」(期間=3月1日~11月30日 クーポン枚数=6枚)
「春~初夏おすすめ全6コース 東京のふるさと 青梅・五日市線の旅 ウォーキングマップ vol.1」(期間=3月1日~11月30日 クーポン枚数=6枚)
「東京のふるさと 青梅・五日市線の旅 おもてなしクーポンBOOK vol.1」(期間=3月1日~11月30日 クーポン枚数=6枚)

指定された期間がクーポンの有効期限です。
なお、クーポンは1枚で、1施設1人に対し有効です(つまり、2人なら1施設で2枚必要です)。
いろいろなところに行かれるのなら、少なくとも1人が1冊ずつお持ちになった方がいいでしょう。

地図にもなっていますから、便利ですよ。

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