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2007年3月28日 (水)

下ネタの続き

さて、昨日触れた≪下ネタ≫の後に、興味深い記述がありました。
三角寛の発言の中に、このようなことが書かれていました(お金と時間をケチってコピーしてこなかったので簡単なメモに基づいて書いています)。

例の≪タツタ峠≫から降って青梅に出た所で多摩川にぶつかります。
そこにかかる長い橋の上から川を見ると、“晒し布”が行われていました(注:かつて青梅は織物業が盛んな町でした)。
吉川英治はそれを飽きることなく眺め、「ああ、いい」と何度もつぶやいていたそうです。

それに対して三角寛は、あの時から吉川英治はあの辺り土地に対して、何か特別な思いを抱くようになったのだろう、だからいま青梅に実際に住んでいるんだ、というようなことを言っているのです。

実は、私も、この五日市-青梅旅行と、後に記念館がある吉野村(現青梅市)に家を買ったことの間には、何かつながりがあるのではないか、と思ってきました。
しかし、吉川英治がこの旅行で青梅に対してどういう思いを抱いたかということが分かる資料がありませんでした。

この三角寛の言葉は、簡単なものですが、私の考えに対する裏付けになりうるものです。

ちなみに、昨日は書きませんでしたが、「衆文」創刊号は昭和8年8月に出ています。
旅行はその直前、鮎とりに適しているという時期なら、6月くらいでしょうか。

そして、吉川英治が吉野村の家を購入するのは、昭和14年。
この時、自分は家の下見をせず、文子夫人を下見に行かせ、その報告だけで購入を決断しています。
既に青梅という土地への好感があればこそ、そのような思い切ったことが出来たのだ、と思うのです。

ただし、疎開のため実際に移り住むのは昭和19年でした。

10年越しの念願、ということになるのでしょうか。

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