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2007年4月 6日 (金)

作家と読者 その2

では、吉川英治が読者からの質問にどのように答えているか見てみましょう。

2通の書簡のうち、最初の昭和3年4月16日付のものでは「御志望の文学上の事ニ就てはわづかな紙片では到底御答へいたしきれません」という、ある意味ありきたりな返事をしています。
しかす、すぐに重ねての手紙が来たのでしょう。
わずか6日後の22日付書簡では、その送られてきた手紙の質問項目に吉川英治が赤字でナンバーを振り、それぞれについて箇条書きにして個別に回答しています。

その質問と答えを列挙してみます。

(1)小説だけ上手に出来ても、何等の学識も作家としての経路を踏んでゐなかったら、いけないのでございましようか

(1)の御問合せのやうなことはよく聞かれますがさういふ形歴的なことは文壇にはまつたく大した階梯とはならないもので それは憂惧するに足りないことです。と言つて、それが故ニ学識は要らないといふ意味では阿りません 形式的な学校歴は有るもないも同格だといふ意味で阿ります

(2)それから、小説家は、歴史はもちろん、地理学や、種々のそれに必要な土地(国々)の様々を、よく知ってゐなければなりませんで〔し〕よう。

(2)は無論それに通達してゐなければなりますまい。けれど 地 歴 のみならず すべての常識に於さうです。又、一口に文学と言ひ小説と言つても自ら部門が有ること故 それにも依ります。 又それを専門的ニ研究するとなれば 歴史中の一問題すら一生涯を賭してもなほ困難な事実はいくらも阿りますので この辺は程度とその作家のうん蓄如何に依る問題で一概にはここに御明答いたしきれません。

(3)作家とし、旅行が一番必要のやうにある方に、承つた事がございますが、それはほんとうだと思ひますけど、必ずさう致さないともよろしいのでございますか

(3)旅行といふ一つのことが作家の必要にはちがひ阿りませんが より以上 作家として知らなければならなひことは人と人生で阿ります 人とはどういふものか人生とはどういふものか それを知らないで単なる陶酔的な旅の嘆美は無意味ではないかと思はれます 尤も旅をすれば自然そこにある世態とか人間とか人生とかを 深く観るやうになるのは当然ですけれども その前により以上な予備智識を以て さらに御修養にも這入るべきだと考へられます

(4)それから、時代物作家として、種々先生の御作を拝見致して居りますがあれは事実あった事でなくてもよろしいのでございますか。

例へば、ある物を中心として、何か小説を書くと致します、そして其の中の主人物に、其の時代の有名なある人物を、勝手に関係させる、結びつける等、自分の想像の侭に引き入れてよろしいのでしょうか。

(4)時代小説にも現代小説にも実在の史実をとることも阿り まつたく仮想人物を出すことも阿り またその中性な場合も阿ります 要は 時代小説といへど現代小説にせよ 又恋物小説にしろ 心は一つで その姿を違えるばかりです 手法と表現の差が阿るだけです。
又 その時代の著名人物が空想的な作品ニ現はれる場合も それは決して 時代事件その者の性格 すべてを無視していい加減ニ織り交ざつてゐるのではありません そこに必然的な史実根拠が阿つて空想と歴史との境のない程度までの当然性がなければならないのです この辺の事は頗るデリケートな構想の話にならなければ容易ニ御納得のゆくようには簡単ニ書記切れませんが 決して 自己の勝手な想像で実在の人間をどう動かしてもいいと言えないことだけを申上げて置きます

現在の目で第三者的に見れば、質問にはやや幼稚さを感じますが、しかし、当時の、高等教育を受けていない庶民の立場からすれば、おかしなところはないのでしょう。

対する吉川英治の答えには、簡潔ながら、その文学観が窺えます。

このやり取りのあった昭和3年4月というと、月刊誌連載が「神州天馬侠」「万花地獄」「龍虎八天狗」「女来也」「続鳴門秘帖」の5本、加えて新聞連載(「江戸三国志」)が1本という状況。
そんな中で、こうした書簡を書いた、その律儀さというか、誠実さに感心します。

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コメント

作家を目指していたお手紙の女性にとって
先生のお返事はとても励みになったのではないで
しょうか?
先生にとっても、この方のお手紙には何か動かされる
ところがあったのでしょうね。
なんだか、読んでいて嬉しい内容でした。

投稿: 遠藤 | 2007年4月 7日 (土) 14時27分

遠藤さん、お読みいただきありがとうございます。

この女性は結局作家にはならなかったのですが、昭和3年からおよそ80年間、この手紙を大事に取っておられた事からしても、いかに感激したかがわかります。

ちなみに、今もご存命です。

青春の大事な思い出をご寄贈いただき、感謝しています。

投稿: 片岡元雄 | 2007年4月 8日 (日) 09時24分

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