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2007年4月 7日 (土)

作家と読者 その3

似たような逸話を持つ書簡を、吉川英治記念館ではもう1点所蔵しています。

昭和15年7月28日付、上田庄三郎宛の吉川英治書簡です。

宛名の上田庄三郎という人物からの「息子が作家になりたいと言っているので、一度会って相談にのってもらえないだろうか」という手紙(これは現存しません)に対する返書で、「お目にかかるくらいならばいつでもどうぞ」というようなことが書かれています。

上田庄三郎とは、多くの著書もある教育評論家です。
広い意味で言えば同じ文筆を業とする者ですが、吉川英治とは面識がありませんでした。
面識のない作家にそういう依頼をするとは、なかなか大胆です。

その願いを聞き入れた吉川英治の方は、やはり子供の将来にかかわることなので、粗略には出来なかったのでしょう。

さて、その作家志望の息子の名は上田建二郎。

実は元日本共産党委員長の不破哲三氏なのです。

あるきっかけで、この書簡は不破氏から当館にご寄贈いただいたのですが、その際に当館館報の『草思堂だより』にこの書簡にまつわる思い出をお書きいただきました(「五四年目の手紙」第4巻1号掲載)。

それによると、当時小学生の建二郎少年は、夏休みに父親に連れられて吉川邸を訪問します。
建二郎少年が持参した自作小説の原稿に目を通した後、「二〇歳になって、まだ書く気があったらもう一度お出でなさい」と、吉川英治は言ったそうです。

建二郎少年は、作家にはならず、不破哲三という名の政治家になったわけですから、的確なアドバイスだったと言えるでしょう。

それにしても、地方の文学少女にアドバイスの手紙を送り、親馬鹿(失礼)な父親の依頼を受けて作家志望の息子と面会するとは、まったく律儀な話です。

もちろん全ての依頼に応じたわけではないのでしょう。
何か感じるものがある場合に限られることだと思いますが、それにしても。
多忙な執筆の合い間に、よくそんなことに気がまわったものだと思います。
いくらでも断ることは出来たでしょうに。

こういうところが、吉川英治の人間性なのでしょう。

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