« 続・横浜散歩-その1 | トップページ | 続・横浜散歩-番外編 »

2007年5月31日 (木)

続・横浜散歩-その2

ここで一旦、せっかく登って来た坂を下ります。
向うのは千歳町。

ぼくは七ツ。やがて千歳町の“横浜市私立山内尋常高等小学校”という長い校名の懸かっている小学校へ通学し出した。
戦後の横浜は、全く旧容を失ったが、その頃、植木会社の裏門から千歳町へ通うには、文字通り山坂越えての半里はあった、植木会社の園内だけでも、幾ヶ所となく上り下りの屈折があり、そこの表門を出て、桜並木と呼ぶ山手通りへ出、遊行坂を降って車橋を渡る。そして町中の水天宮さまと隣りあっている私立小学校のペンキ塗りの校門をやっと見るわけだった。

吉川英治が自叙伝「忘れ残りの記」の中に書くこの描写の逆をやろうというわけです。

Img_9121
“横浜市私立山内尋常高等小学校”は教師である山内茂三郎によって明治19年に設立された学校。
山内は夫婦で教師を務め、後に小学校から女子商業学校へと発展させました。
これは現在、蓮光寺の近くにある横浜学院の前身となります。

ちなみに、吉川家の墓を保存した蓮光寺の本多興学氏は、山内尋常高等小学校での吉川英治の同級生だそうです。

千歳町にあった学校は関東大震災で焼失し、後に現在の横浜学院の地(山手町203番地)に移転しています。
目印となるべき水天宮も現存しません。
しかし、現在の千歳町1丁目1・2番あたりが小学校のあった場所であろうと推定されています。
上の写真の右半分を占めている診療所や医院が入っているビルからその裏の駐車場のあたりになるのでしょうか。

Img_9125
車橋は、現在もその名の橋がありますが、これは昭和64年にかけ直されたもので、往時の面影は全くありません。

現在横浜市の中区と南区の境界になっているのが遊行坂です。

あとで詳しく見ますが、吉川家は英治の幼時に、この近辺のごく狭い範囲で引越しを繰り返しています。

家はまた引っ越した。山手通りの俗に桜並木とよばれる植木会社の表門通りから、遊行坂の降りへかかる坂の降り口で、座敷にいても庭越しに、横浜市街が一望に見えた。
また、坂を降りかけて左側の、ちょうど、ぼくが幼時の家のあった辺は、今そっくり小学校の校庭になっていた。

Img_9134
ふたつの引用文は、いずれも「忘れ残りの記」の記述ですが、この小学校とは遊行坂の途中にある横浜市立石川小学校のことでしょう。
引用文のうち後者は昭和30年にこの地を歩いた際の英治の感想ですが、石川小学校は昭和3年から現在地にあるそうです。
下の写真は、遊行坂を上から見下ろしたもの。
木立もあって坂道からはよく見えませんが、写真左手の下方に石川小学校があります。
Img_9136

|

« 続・横浜散歩-その1 | トップページ | 続・横浜散歩-番外編 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 続・横浜散歩-その1 | トップページ | 続・横浜散歩-番外編 »