我以外皆我師也
今日は偶然にも同じ内容の問い合わせが重なりました。
「我以外皆我師」という言葉の出典は何か?というものです。
この言葉に関するお問い合わせは頻繁にあるので、上記の問いを含め、よくお尋ねいただくことをまとめてここに書いてみます。
「我以外皆我師」という言葉は、吉川英治の人生哲学を反映した座右の銘であり、吉川英治の造語であると思われると、前に書いたことがあります。
吉川英治の造語で、頻繁に揮毫し、口にもしている言葉ですので、通常の意味での“出典”というのはないようなものですが、この言葉が出てくる作品ということであれば、「新書太閤記」が挙げられます。
現在の全11巻の文庫(講談社刊 吉川英治歴史時代文庫)ならば、第10巻に『大坂築城』という章があります。
そこにこのような箇所があります。
秀吉は、卑賤に生れ、逆境に育ち、特に学問する時とか教養に暮らす年時などは持たなかったために、常に、接する者から必ず何か一事を学び取るということを忘れない習性を備えていた。
だから、彼が学んだ人は、ひとり信長ばかりでない。どんな凡下な者でも、つまらなそうな人間からでも、彼は、その者から、自分より勝る何事かを見出して、そしてそれをわがものとして来た。
――我れ以外みな我が師也。
と、しているのだった。
ちなみに、この言葉が「宮本武蔵」に出ているはずだ、という方がいらっしゃいますが、「宮本武蔵」では、多少表現が違います。
「お客」
「はい」
「宮本武蔵と申されたの」
「左様でござります」
「兵法は、誰に学ばれたか」
「師はありませぬ。幼少から父無二斎について十手術を、後には、諸国の先輩をみな師として訪ね、天下の山川もみな師と存じて遍歴しておりまする」
「よいお心がけじゃ。――しかし、おん身は強すぎる、余りに強い」
誉められたと思って、若い武蔵は顔の血に恥じらいをふくんだ。
『水の巻』の『茶漬』という章での、奥蔵院の日観と武蔵の会話の場面です。
このように、「我以外皆我師」というそのままの形では出てきません。
出典と並んでよくお尋ねいただくのが、文字の問題です。
私はここまで
我以外皆我師
と表記してきましたが、「新書太閤記」の引用文にあるように
我以外皆我師也
とする場合もあります。
また、
吾以外皆吾師
とする場合もあります。
もちろん、これの末尾に「也」がつくこともあります。
いずれのパターンも、本人が揮毫して書き残したものに存在します。
吉川英治本人がそうしていますので、お尋ねいただいても、どれでも正しい、としか答えられません。
その理由も見当がつきません。
そこを問われた場合は、「気分次第」とお答えしています(苦笑)
なお、多くの人が「我以外皆師也」と、二つ目の「我」をとばしてご記憶になっているようです。
意味は通りますが、吉川英治の言葉としてご紹介になる時には、二つ目の「我」をお忘れなく。
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