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2007年5月 3日 (木)

これも楽しみ?

晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す
楽しみあるところに楽しみ、楽しみなきところに楽しむ

吉川英治のものとされるこの言葉の出典を教えて欲しいというお問い合わせがありました。

吉川英治が愛好した画家に田能村竹田がいます。
その竹田の書簡とされるものの中にある一節に目を留めた英治が、それをヒントにして生み出した言葉が

楽しみあるところに楽しみ、楽しみなきところに楽しむ

です。
「楽」を「愉」で書いた色紙も残っています。

お問い合わせが2行目だけなら、こちらの回答も、「『も』が一文字抜けていますね」でおしまいですが、1行目も含めてとなると、ちょっと調べる必要があります。

で、調べてみましたが、この言葉そのままのものは、結局、見つかりませんでした。
その代わりに見つかったのが、これ。

随時随処に、働き、学び、また遊ぶ。それが何時であってもよろしい、それが何処であってもよろしい、とも角、「居る処を楽しむ」というのが、私の主義であり、願いである。
他の人がみて、何んだつまらないとつぶやくような処へ行っても、そこに何かしら面白味を発見する。山でも、海でも、都会でも、田舎でも、神社でも、旧蹟でも、大料亭でも、木賃宿でも、そこに必ず興味の対象となるものを見出だす。雨降らば雨もよし、風吹かば風もよし、それに適従し、それを楽しむ自分を常に作り上げる。
大いに働いた後には、大いに遊ぼうという気分になり、また大いに遊ぶのがいつも私であるが、この随時随処に適従するという、これが、また人をして労(つか)れしめない一つの方法になるのかも知れない。

随筆集「草思堂随筆」所収の『青年・馬上に棲む』という随筆の中の一節です。

ニュアンスは同じですが、表現は同じではありません。

お問い合わせいただいてから、多分ネット経由の知識なのだろうと思い、検索してみたところ、ネット上の名言紹介サイト・ブログにこの形で広く流布していることがわかりました。

以前にも、似たような例があり、調査してみたところ、出典が怪しいという結果になったのですが、今回もそうなのでしょう。

今回、この言葉を紹介しているブログの中に、「むかし家にあったカレンダーで見た」と書いている方がいらっしゃいました。
それが事実なら、その際にカレンダーに載せやすいような形に言葉をアレンジしたのではないでしょうか。

確証はありませんが。

それにしても、名言紹介サイト・ブログの運営者の方々は、出典が気にならないのでしょうか?
もしかしたら、そんなこと言っていないかもしれないのに。
言葉は正しくても、場合によっては、文脈で意味が違っているかもしれないのに。

言葉そのものが良い言葉なら、別に出典なんかどうでもいいというのなら、著名人の名前で権威付けしないで、「オレ名言集」でいいんじゃないの?と思ってしまいますが。

(121024追記)
上記の随筆『青年・馬上に棲む』が「草思堂随筆」の中にないとのご指摘をいただきました。
ご指摘を受けて確認したところ、収録図書のタイトルの書き方がいささか曖昧でしたので、その点について以下に説明しておきます。

『青年・馬上に棲む』は、昭和13年刊行の「窓辺雑草」という随筆集に初収録されたものです。

吉川英治没後、昭和40年代に講談社から「吉川英治全集」全56巻が刊行されますが、その第47巻に「草思堂随筆・窓辺雑草・折々の記その他」として随筆がまとめられます。
その後、昭和50年代初めに「吉川英治文庫」全161巻が講談社から刊行されますが、その時に、戦前の随筆集である「草思堂随筆・窓辺雑草」(第160巻)と戦後の随筆集である「折々の記」(第138巻)に分けられます。
そして、平成に入り「吉川英治歴史時代文庫」全85巻が講談社から刊行されることになった時、そのラインナップから外れたこの2巻の随筆集を吉川英治記念館の出版物として刊行することになりました。
この時にタイトルから「窓辺雑草」の文字が消え、「草思堂随筆」になりました。

したがって、タイトルからは文字が消えたものの吉川記念館版「草思堂随筆」には、「窓辺雑草」の随筆も収録されています。
その中に、『青年・馬上に棲む』も含まれている、という次第です。

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