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2007年6月26日 (火)

「宮本武蔵」問題 その(2)

一昨日書いたような背景のもとに生じたのが「宮本武蔵」問題でした。

終戦直後の出版ブームの中、版権を持つ吉川英治の旧作を、戦前の紙型を利用して次々と売り出していた講談社。
一方、英治の兄弟愛を背景に「新書太閤記」の版権を得て、成果を上げた六興出版。

その双方が、次に出版をもくろんだのが「宮本武蔵」で、そこで問題が発生したのでした。

講談社は、元々「宮本武蔵」の版権を持っていました。
作品が連載されたのは朝日新聞(昭和10~14年)でしたが、単行本は講談社から出版されました。
まずは連載と並行して箱入りの特製本全6巻を、連載終了後に軽装の普及版全8巻を出版しています。
この普及版が爆発的に売れました。
よく、出征した兵士たちが前線にまで持ち込んで読んだ、というのはその普及版の方です。
当然のごとく、新たに「宮本武蔵」出版の計画をします。

これに対し、吉川英治は弟・晋のいる六興出版に出版の許可を与えます。
その論理的な裏付けは、吉川英治と講談社の間で交わされた「宮本武蔵」の出版に関する契約の中の「講談社は版権を独占するが、他社が全集などの一部として収録することは構わない」という取り決めでした。
そこで、六興出版は≪吉川英治叢書≫というシリーズの一部として「宮本武蔵」を刊行する、という作戦をとったのです。

六興出版が「宮本武蔵」の刊行を広告し始めると、それに対抗して講談社は版権を楯に「宮本武蔵」の印刷製本を強行し、英治に許諾と検印を求めます。
英治はこれを拒否するとともに、補筆訂正のない旧版での出版は作家的良心を踏みにじるものだ、として文芸家協会に提訴します。

こうして、ごく簡単に言えば、売れ筋商品をどちらが販売するか、というに過ぎなかった騒動が、著作権や出版権に関わる大事になってしまうのです。

最終的には、講談社の初代社長・野間清治の妻で、早世した息子・恒の後を継いで三代目社長となっていた野間佐衛の「このへんでおやめなさい、初代が生きていたら、こうはなりませんでしたよ」という一言で、講談社が出版を諦め、問題は解決します。

かくして、六興出版により昭和24年3月から25年4月にかけて刊行された「宮本武蔵」は、24年・25年と2年連続ベストセラー第7位と、期待通りに売れました。

もちろん、作家が補筆訂正する権利を楯に講談社からの出版を拒んだわけですから、作品には手が加えられています。
「宮本武蔵」戦前版と戦後版の間に存在する書き換え問題を矮小化する気はさらさらありませんが、そういう側面もあったことは考慮されるべきだろうと、私には思えます。

なお、問題の解決後、講談社と吉川英治の関係はすぐに修復されたわけではありませんが、最終的には再び良好なものに戻りました。
ただ、戦後の吉川英治は、かつての濫作への反省から、同時に複数の連載を並行させるようなことはしなくなったため、その後、世を去るまでに新たに講談社の雑誌に連載した作品は雑誌『日本』への「新・水滸伝」の一作にとどまりました。
そして、その連載が吉川英治の絶筆となりました。

講談社の雑誌でデビューして、二度も絶縁して、しかし、講談社の雑誌で絶筆を迎える。

なんだか男と女の腐れ縁という感じですね。

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コメント

そんなことがあったのはびっくりしました。
この記事を書いてありがとうございます。

投稿: 金 | 2008年11月28日 (金) 16時56分

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