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2007年6月 2日 (土)

続・横浜散歩-その3

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前置きが長くなりましたが、遊行坂を登りきって左手に向かうと横浜植木株式会社があります。
これが横浜植木商会の現在の社名です。

往時の面影は無いとは言うものの、今でもかなり広い土地を占めています。

会社の前の道が、吉川英治が「俗に桜並木とよばれる」と書く通りに該当するはずですが、今では桜の木は目につきません。

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ぐるっと回って横浜植木株式会社の裏の方へ出ます。
そこは、先程の地蔵坂上から続く通りで、商店街になっています。

通りの幅が急に細くなっている所に、短い階段につながる細い道がありますが、その奥あたりがかつての植木商会の裏門の場所であると、「吉川英治と明治の横浜」では推定しています。
つまり、写真の左奥あたりに吉川英治は住んでいたことになります。

園内の道は、もとより一般の通路ではなかったが、ぼくは下町への学校通いに、裏門から表門へ抜け、毎日そこを往復の近道としていた。母は毎朝、躑躅や石蘭や雪柳が崖をなしている坂道を駈けまろんでゆくぼくを家の門から見送って「……まるで鉄砲玉みたい」とほほ笑んでいた。
毎日を、花の香に染められて通った頃の童心の幸福感が、老いたる今もどこかに潜んでいるものだろうか。以後、長じて人生の辛酸な道へ出てゆくほど、そのなつかしみは深くなっていた。
まあ、こんな風に、植木会社の裏門時代は、ぼくにとって、故郷のうちの故郷といったようなものだった。キザな云い方だが、人生への初恋頃といっていい。(いずれも「忘れ残りの記」より)

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さて、今いる商店街のある通り、現在は山元町通りといわれているようですが、吉川英治はここを「相沢の町通り」と書いています。
この通りにまつわる思い出のうち、重要なものは後日紹介しますので、傑作なものをひとつ。

ある日の夕方、相沢の町通りで、市中からぞくぞく帰ってくる汚穢屋の馬力車の後ろにブラ下がって、がらがら揺られてゆく快感に興じていたことがある。このわるさは、どこの子もよくやる事なので、かねて汚穢屋も心がけていたのにちがいない。次第に馬力車を走らせておいて、そして突然、馬を止めた。その振動で、汚穢桶の物が溢れ飛んで、ぼくは頭から全身にそれを被ってしまった。(「忘れ残りの記」より)

そんな山元町通りにある山元町郵便局の斜向いが、蓮光寺の過去帳にあった「山元町二丁目十八番地」に相当すると、「吉川英治と明治の横浜」には書かれています。
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同書は、その場所を「梅の湯」という銭湯のあたりだとしていますが、現在は銭湯はなく、マンションが建っています。

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