« 「本伝御前試合」と霜田史光 その(1) | トップページ | 「本伝御前試合」と霜田史光 その(3) »

2007年6月20日 (水)

「本伝御前試合」と霜田史光 その(2)

ところで、霜田史光とはどのような人物なのか、略歴などについて書いてみます。
霜田史光は本名・霜田平治。明治29年6月19日、埼玉県北足立郡美谷本村大字松本新田(現さいたま市南区松本)に、五男五女の末子として生まれました。
大正2年頃から『文章世界』などの雑誌に詩などを投稿し始め、以後、三木露風が主宰した『未来』や『リズム』、西条八十が主宰した『詩王』などの雑誌に次々と詩を発表していきます。
大正8年に処女詩集「流れの秋」を出版しますが、その挿画と装丁を担当した霜田静志は次兄(本名・霜田利平)にあたります。
霜田史光は民衆派に属する詩人と目され、三木露風・西条八十・野口雨情らの周辺で活動しました。このうち野口雨情は早くから民謡に注目していたことで知られますが、霜田史光もその影響からか、民謡を民衆芸術として捉え直し、民謡の収集や新作民謡の創作などに力を入れています。「日本民謡名作集」(大正10年 野口雨情と共編)などの単行本がその成果です。
大正末頃から大衆文芸作品を発表し始め、大正15年にはこの方面の単行本として唯一の「日本十大剣客伝」を出版しています。
この「日本十大剣客伝」の序文には、当時の霜田史光の心境が吐露されています。

私は元来詩の畑の人間だが、生活のためにこの手の作品に手を染めるようになった。しかし、調べて行くうちに、剣の精神に関心を持つようになり、この本を書くにいたった。したがって、これは世に氾濫する新講談の類とは一線を画したものである。

大衆文芸を低俗視している感じがちょっと引っ掛かりますが、それでも、この言葉にもあるように剣の精神性に強い関心を持ったようで、その大衆文芸作品には剣豪・剣客を取り上げた作品が多いようです。
昨日触れた「霜田史光 作品と研究」では、意図的にか、大衆文芸作品がほとんど紹介されていないので、私が確認できた作品を以下に列挙しておきます。

「常磐橋上遺恨試合」(『面白倶楽部』大正14年12月号)
「極意剣秘録」(『面白倶楽部』大正15年1~12月号)
「名試合十八番」(『面白倶楽部』昭和2年1~12月号)
「狂ひ咲き深尾牡丹」(『講談倶楽部』昭和6年6月号)
「命のかけ碁」(『富士』昭和6年11月号)
「名剣雪月花」(『オール読物』昭和6年11~12月号)
「身代り茶坊主」(『富士』昭和7年5月号)

最後の「身代り茶坊主」から1年とたたない昭和8年3月11日に36歳の若さで世を去っています。
肺を病んでいたことが早世の理由のようで、夫人も同じ病でまもなく亡くなったと言います。2人には子はありませんでした。

|

« 「本伝御前試合」と霜田史光 その(1) | トップページ | 「本伝御前試合」と霜田史光 その(3) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「本伝御前試合」と霜田史光 その(1) | トップページ | 「本伝御前試合」と霜田史光 その(3) »