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2007年6月14日 (木)

山形(2)

次にご紹介するのは、「明治秋風吟」。

米沢藩の児島龍雄、後の雲井龍雄は若いながら論客として名を知られている。
今日も、勤王派の浪士たちが次席家老の丸山昇に面会を求めてきた席に同席し、「勤王と言っても多くは自らの野望のために王室の尊名をかたっているに過ぎない、それで幕府を倒しても、結局は第二の幕府が出来るだけだ」と批判する。
論破された浪士たちは、児島を除かねば米沢藩は勤王に傾かぬと、龍雄に闇討ちをかけるが、逆に一人を残して龍雄に斬られてしまう。しかし、生き残った一人は、代わりに丸山を暗殺して、逃走する。
その後、江戸警護のため出府した龍雄は、捨てられた赤子を拾う。物陰に潜むその子の親と思しき男に、龍雄は温情溢れる言葉をかけるが、互いに名乗り合うことなく別れる。
江戸警護の任を解かれた龍雄は、状勢を見届けるために京都にやって来るが、勤王派の抜刀組に身柄を拘束されてしまう。とっさに偽名を名乗った龍雄の面通しに現れた男は、確かに見覚えのある男だったが、なぜか「これは雲井龍雄ではない」と言って、彼を解放する。
やがて明治維新。
明治新政府は旧佐幕勢力を懐柔するため、佐幕派の藩からも人材を登用した。雲井龍雄もその一人となったが、新政府を強く批判して官職を辞し、同志を募って政府に反抗しようとするが、露見してしまい、重罪人として刑を受けることになる。
処刑の朝、龍雄を連行しに来た政府兵部省の役人・石田浪吉は、自分と龍雄の奇縁を語り始める。
龍雄の闇討ちに失敗して丸山を斬ったのも、龍雄が拾った子の父も、面通しで嘘をついたのも、みな自分であった、と。
それを聞いた丸山の娘で、今は龍雄の妻である晴子は「父の仇」と石田を懐剣で刺そうとするが、龍雄はそれを止め、「私の怨みで人を斬る時勢はすぎた」と晴子を諭し、刑場へと向かうのであった。

初出は『家庭シンアイチ』昭和6年秋季特別号(10月5日発行)。

最新のものは「吉川英治文庫126 治郎吉格子(短編集2)」(昭和51年 講談社)となります。

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