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2007年6月 6日 (水)

続・横浜散歩-その6

さて、ここで根岸周辺から離れて本牧方面に移動します。
目指すのは三渓園です。

三渓園自体は、別に吉川英治ゆかりの地というわけではありませんが、ある理由があって、ここを訪ねました。

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三渓園には、様々な由緒ある建造物が移築されていますが、そのうちのひとつに矢箆原家住宅というものがあります。
白川郷の合掌造り建築を移築したものです。

正確に言うと、岐阜県大野郡荘川村岩瀬にあったものを、御母衣ダムの建設で水没することになったため、昭和35年に移築したものです。

さて、数年前に、三渓園の方から、吉川英治が「新・平家物語」の取材旅行の際に、この矢箆原家に滞在したと言い伝えられているのだが、という問い合わせがありました。

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確かに、吉川英治は昭和27年10月25日~11月2日に木曽・飛騨・北陸への取材旅行に出かけた際、白川郷に足を運んでいます。

10月29日、宿泊していた岐阜県高山市から自動車で白川郷に向かった一行は、当初、視察を済ませたら、そのままとんぼ返りして高山駅から鉄道で下呂温泉まで移動して、そこに宿泊する予定でした。
しかし、そのまま白川郷に泊まって、翌30日、トラックの荷台に揺られて峠越えして、金沢に出るというコースをとることになります。

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当時の、この取材旅行の予定表には「鳩ヶ谷泊まり」と訂正が書きこまれています。
これは同じ白川郷でも、白川村鳩谷のことでしょう。
したがって、荘川村にあった矢箆原家に宿泊したとは思えません。

ただ、取材中の写真の中に、矢箆原家住宅に酷似した建物の前にいる吉川英治の写真があります。

これだけではちょっと証拠としては弱いかもしれませんが、おそらく、昼間の取材先の一つが矢箆原家で、宿泊は別の場所だったのでしょう。

確信が持てるという所まではいきませんが、吉川英治ゆかりの建物として、問題はないものと思われます。

さて、三渓園を離れて、元町方面に向かいます。

番外編で触れた「横浜今昔」の中の『忘れられぬ風物詩』に、こんな記述があります。

そこから反対に元町の通りに出て海岸よりに薬師様があった。縁日が出る日には往来する外国船の船員や派手なスタイルで闊歩する各国の兵隊でにぎわった。その強い色彩が夜の灯にとけこんで流れるさまは長崎や神戸にもない特有なエキゾチックなものでいまでも私の目にやきついてはなれない。

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元町には、いままでに何度か来ていますが、薬師様なんかあっただろうかと思いながら元町通りにたどり着いてみると、谷戸橋のすぐ近くに隠れるようにひっそりと薬師堂が存在していました。
増徳院というのがその名のようです。

これで今回の目的は一通り果たせました。
場所がよく分からなくて飛ばしてしまったモンキの坂(猿坂)などには、もう一度足を運ばないといけませんが、とりあえず、今回はこれで終了します。

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