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2007年6月 3日 (日)

続・横浜散歩-その4

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山元町通りを南下し、商店街が途切れるあたりで右折、少し奥に入った所に地蔵王廟と南京墓があります。

南京墓は、横浜開港後に造られた中国人墓地。
地蔵王廟は、中国人商人らの醵金によってそこに建てられたものです。
建てられたのは、奇しくも吉川英治が生まれたのと同じ明治25年です。

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「吉川英治と明治の横浜」には、地元に残るある言い伝えが紹介されています。
この地蔵王廟のすぐ目の前である大芝台にかつて木造二階建ての家屋があり、そこに英治一家が住んでいた、というものです。

これが正しいとすると、場所的には「家の前から競馬場の芝生が見えた」という先日の(1)の条件を満たしているように思えます。
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写真は南京墓から見た根岸競馬場のスタンドです。

地蔵王廟が落成した時、そのすぐ目の前で吉川英治が産声を上げた。

そんな可能性もなきにしもあらずです。

相沢の町通り=山元町通りをめぐる思い出の一つが、この通りを南京墓まで向かう中国人の葬列でした。

派手に飾られた輿に棺を乗せ、道士や祭司、親類縁者に泣き女が、鮮やかな旗や供物を並べて、延々と行列していく様子に、

ぼくら子供は、その演出と天来の奇観にはしゃぎ立ッて、ぞろぞろ葬列の後について駈け歩いたものだった。

と記述しています。

この南京墓が登場する小説を吉川英治は書いています。

ひとつは「かんかん虫は唄う」、もうひとつは「ナンキン墓の夢」です。

どちらも、吉川英治には珍しい現代小説で、「かんかん虫は唄う」は『週刊朝日』昭和5年10月26日号~6年2月8日号に連載され、「ナンキン墓の夢」は『週刊朝日』昭和6年春季特別号(4月1日発行)に掲載されたました。

同じ時期の作品であるのもさることながら、この2作品には南京墓をめぐる同じ言い伝えが紹介されています。

お代官坂の南京墓へ行って、そこで、ぐっすりと一昼寝して、夢をけんとくにして支那富籤を買うと、奇妙に、あたることが多い――
誰が、いい出したものか、零細な投機心をあおるチーハ熱が流行の極端にまで昂まったそのころ、そんな迷信がいいふらされた。(「ナンキン墓の夢」より)

≪支那富籤≫と≪チーハ≫は同じものです。
具体的なやり方は知りませんが、一種の賭博で、明治20年前後の時期によく流行ったようです。
「夢をけんとくにして」というのは、そこで見た夢を読み解いて、当たりくじを決めると言うような意味でしょう。

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さすがに、現在の南京墓で昼寝をする人間はいないようです。

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コメント

 明治大正時代の新聞を読み解く中で、「チーハ嫌疑の唄ひ女屋」(明治25年4月9日付け東京朝日新聞3面5段)に出会いました。
 チーハとは、何ぞや。

 ウイキペディアで記載なし、Goo検索で、あなた様方の草思堂ブログを見つけ、当記述に至りました。
 
 参考になり、情報とご縁に感謝しています。

 

投稿: 牟佐退蔵 | 2009年1月16日 (金) 11時39分

>牟佐退蔵さま

ご拝読ありがとうございます。
参考と申しましても、「チーハ」が賭博の一種であるということしか当方もわかっておりません。
どういう種類の賭博なのか、どういうやり方をするのか、とんと見当もつきません。
もし何かわかりましたらご教示いただければ幸いです。

投稿: 片岡元雄 | 2009年1月16日 (金) 16時50分

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