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2007年7月 8日 (日)

熊本(1)

熊本県は、ゆかりの作品の数が結構ある場所です。
まず初めに、変わった作品からご紹介。

「武蔵負けたる事」

肥後熊本・細川家の客分となった宮本武蔵であったが、歳も60を越えて余命を悟り、兵法書の執筆と禅境にひたるため霊巌洞に籠ることにした。
そこを訪ねてきた細川家中の若い侍たちに請われるまま、かつて負けたことを語り始める。
その相手・秋山伝七郎は、武蔵が京都で斬り倒した吉岡清十郎の従兄弟。
清十郎との試合から間もなく、その復讐のため武蔵に試合を挑むが、身体も弱く、手もなく一蹴される。
武蔵は、気絶した伝七郎にはとどめを刺さず、立ち去る。
翌日、怪我をおして再戦を求める伝七郎だが、必死を越える一念を示すも、やはり武蔵の敵ではない。
武蔵はみね打ちをくれて、その場を去る。
三年後、鈴鹿峠を旅する武蔵に馬子が「宮本先生」と声をかけてくる。
それこそ、この鈴鹿で独自に修行を続けてきた伝七郎であった。
再度の試合を求める伝七郎を、またしても武蔵は倒す。
さらに十数年後、尾張大納言義直の求めで名古屋にとどまっていた武蔵を訪ねてきたのは、秋山伝七郎。
四度目の挑戦に応じる武蔵だが、今度の伝七郎の構えには一分の隙もない。
瞠目する武蔵。
刹那、打ち込まれた伝七郎の木剣を受けた武蔵の木剣は、真っ二つに割れた。
その一撃に、負けを認める武蔵。
宿願を果たして落涙する伝七郎。
だが、京に帰った伝七郎は吉岡家再興の目前に病で世を去るのであった。

初出は『雄弁』大正14年7月号。
筆名は≪朝山李四≫を用いています。

初出後、長らく単行本化されていませんでしたが、先年出版された「〈武蔵〉と吉川英治 求道と漂泊」(2003年 東京四季出版)に収録されました。
実は、版元から相談を受けた時に、私が勧めて掲載に至ったものです。

後年の「宮本武蔵」とはかなり雰囲気の違う作品で、吉川英治自身は泉下で「余計なことをしてくれた」と苦い顔をしているかもしれませんが、こんな機会でもないと二度と世に出ないと思いましたので、勧めてみたのです。
「宮本武蔵」に取り組む前、吉川英治がどういう認識を武蔵に対して抱いていたかという参考になると思います。

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