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2007年7月16日 (月)

音痴

台風はようやく日本を離れていきましたが、まだ海上の波は高いようです。

テレビで荒れる海の様子を見ていて、吉川英治のある随筆を思い出しました。

これはただ一人の旅先だった。ちょうど五月の暴風雨のあと、仙台石ノ巻から、金華山へ小汽船で渡ったときである。荒海にもてあそばれ、船中、ゲロゲロの惨状だったが、ぼくは、波洗う甲板の上に出て、身を帆柱にしばりつけた。そして寄せくる一波一波を、おせんの夜の白井喬二と見立てて、声いッぱい、怒涛の声と交りばんこに、喉もショッパクなるほど、歌を吠えつづけていたのである。
静かな釣舟の上でさえ、すぐ船よいを催すぼくが、金華山沖では、船頭さんに、賞められた。
(「折々の記」所収『音痴の歌』)

海が荒れている時に船に乗ったが、大声で歌っていたら船酔いせずにすんだ、という話ですが、「おせんの夜の白井喬二」というのが、なんだかわからない、と思われるでしょう。

この随筆は、英治の周りの作家や編集者の酔態を、≪酒間芸術≫などと少々茶化して書いた文章。
ここでの≪酒間芸術≫は、もっぱら酔っ払って歌い出すことなのですが、当の英治は音痴を自認しているので人前では歌わないようにしていたようです。
そのことを、

酒間の音痴は、まるで悪役みたいなものだ。少なくとも愛し難い偽君子にはみられる。

と自嘲しています。

カラオケに行って歌わない人間の扱いと同じですね。
英治の頃にはカラオケはもちろんなかったわけですが。

さて、では「おせんの夜の白井喬二」とは何の事か。

音痴のせいで人前で歌えないことのうっぷん晴らしに、ある一夜、浅草にある≪おせん≫という店で、「文壇きっての音痴白井喬二」(と英治は書いています)と二人だけで、誰にも気がねせずに思い切り歌いまくった、という経験のことを指しているのです。
正味三時間(!)ばかり歌って、気が晴々としたそうです。

最近、一人でカラオケボックスに行って歌いまくる人がいる、というような記事を何かで読みましたが、その類ですかね。

ちょっとかわいらしい話です。

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