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2007年8月25日 (土)

川柳250年

今年の8月25日、つまり今日、川柳は誕生から250年を迎えるのだそうです。

先日、「川柳二五〇年」というイベントのチラシが送られてきたのですが、それによると、柄井八右衛門が「川柳」の号を名乗り、初めての万句合を開いたのが宝暦7年(1757)8月25日だそうで、そこから数えて250年目ということのようです。

チラシが送られてきたのが、8月に入ってからなので、気がつきませんでしたが、「川柳発祥の地」記念碑の除幕式が今日行われるようですし、東京・北海道・新潟で巡回展も行われるようです。
というか、東京会場は明日までの展示ですが。

川柳関係の取材はしばしば受けますし、大野風柳さんのところから『柳都』という川柳雑誌を毎号送っていただいているにもかかわらず、全く気づいていませんでした。
お恥ずかしい。

それはそれとして、いま「川柳」は盛んだと言えるのでしょうか。

「川柳」と名の付くものは世の中に溢れてはいます。
しかし、川柳は最も庶民に近い文芸であるが故に、最も誤解されている文芸でもあるのではないかという気がします。

しばらく前にテレビで、あるアイドルタレントが、ある川柳のコンテスト(「うなぎ川柳」とかいうもののようです)で賞を取ったという話題を目にしたことがあります。
その川柳というのが

ひつまぶし箸でつついて暇つぶし

というものでした。

まじめに川柳と向き合っている人からすれば、これはただの語呂合わせの狂句にしか見えないでしょう。
いや、狂句以前のダジャレですね。

もちろん、語呂合わせだから悪い、とは必ずしも言い切れませんが、この句に関しては、「初めに語呂合わせありき」の句であることは間違いないでしょう。

これは極端な例ですが、すっかり定着した「サラリーマン川柳」に対しても、同様な理由から反発を覚える川柳家の方は少なくないと思います。

結局、一般の人にとっては、上記のアイドルタレントの作品のような語呂合わせの言葉遊びが「川柳」だと思われているのでしょう。
「俳句」は高尚な芸術で堅苦しいから近づきにくいが、「川柳」は自由な言葉遊びだから誰でも作れる、という感覚。

しかし、その極北には鶴彬のように「川柳」で死んだ人もいるわけで、あまりにも意識の幅が広すぎます。

そんな中にあって、川柳の250年を振り返ろうという今回の各種イベントは、一体どのような視点から、何を見ようとするのか、興味深いところです。

と言いつつ、東京での展示は見損ねてしまいましたが。

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