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2007年8月19日 (日)

私の弟はイギリスで生活していますが、たまに日本に帰ってくると、よく一人で卵かけご飯を作って食べています。
イギリスでも米は買えますし、卵ももちろん売っているので、「あちらでも卵かけご飯ぐらい食べようと思えば食べられるんじゃないか?」と聞くと、イギリスでは卵を生食する習慣が無いため、販売されている卵が十分に殺菌されておらず、下手に卵かけご飯なんか食べると腹をこわす可能性があるので、ダメなのだと言われました。
イギリスでは食べられないので、日本に帰国したら食べると決めているいくつかの食べ物のひとつが、彼にとっては卵かけご飯なのです(ちなみに、その他には刺身、焼肉、ラーメンなど)。

そんな日本人の≪国民食≫と言える卵かけ御飯ですが、「忘れ残りの記」には、こんな記述があります。

たとえば、ぼくらのそんな家庭でも、頭数六、七人もの子供の朝食の膳に、よく生卵を割ったものだが、大きな丼に、きまって卵は三個しか女中が割らない。それへ醤油はたくさん目に注いで掻廻し、七つの御飯茶碗へ等分にかけ分ける。だから「そっちへ黄味ばかり入った」とか「こっちが少ない」とか、よく食膳のいざこざになった。どうかして、卵を一人でまるごと一ツ御飯へかけて食べてみたいとは、ぼくらの念願だったものである。

「女中が」とあるので分かるように、これは家が没落して貧困に喘ぐようになる以前、女中を雇う経済力があった頃の話です。
明治後半の頃の消費生活など、この程度に地味で質素なものだった、という思い出です。

続けて、こんなことも書いています。

(略)ちょっと建てこんでいる住宅地の横へ入れば、そこの勝手口や縁先などの日向に、お飯櫃や釜底の御飯つぶを流し元で掬った物が、ていねいに目ザルに並べられ、白い干し飯として干し上げて保存してゆく習慣のあることが軒毎によく見られた。それが大きな紙袋に蓄まると、賽の目に切った寒餅や黒豆など加えて、母が砂糖煎りにしてくれたのを、ぼくらはあられと呼んで、冬の菓子によろこび合ったことだった。

いま手元に無いのですが、紀田順一郎さんの本か何かで、当時の東京の貧民街では残飯売りというものがいたことが書かれていました。
確か、残飯回収の方法の一つに、排水溝を流れてくるものをザルで濾して集めるというのがあったと記憶します。

一般家庭の台所でも、個々に、それに似たようなことをしていたということでしょうか。

卵を一人で一つ食べたいと願った明治の子供の目からは、卵かけご飯専用の卵や醤油すら売られている現在の日本は、夢の国でしょうね。

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