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2007年8月11日 (土)

長野(2)

次は、これも先日名を挙げた「山浦清麿」。

山浦家の次男・環は、庄屋の長岡家の娘お咲と恋仲になり、長岡家に養子に入った身だが、ある日、所用で松代に出かけたついでに、兄の山浦真雄の後援者である柘植嘉兵衛を訪ねる。
真雄は一介の素人鍛冶に過ぎなかったが、嘉兵衛の後押しもあって、次第に声望を得つつあった。
そんなところへ、藩のお抱え鍛冶・荘司直胤の刀は折れやすいという噂が広まったため、今日、刀試しが行われるという嘉兵衛の言葉を聞き、環もその会場へ見物に行くことにする。
刀試しでは、直胤の刀は無事課題をこなしたが、真雄の刀は曲がりや刃こぼれを生じた。
それを見て、この刀試しには不正があると叫びながら乱入した環は、成り行きから、兄と自分の合作の刀で兜割りに挑むことになるが、老獪な直胤の姦計にはまり、失敗してしまう。
その屈辱を雪がんとする環は、長岡家を飛び出し、実家に戻って真雄とともに刀作りに心血を注ぎたいと望むが、真雄は、妻子のいる長岡家へ戻るべきだとして、それを拒絶する。
しかし、既に刀のことしか脳裏に無い環は、家も郷里も捨てて出奔してしまう。
江戸に流れ着いた環は、窪田清音の助力と薫陶を受け、刀鍛冶として次第に頭角を現し、四谷正宗と称されるまでになり、その名も清麿と改めた。
その頭角を現すきっかけになったのは、清音の主催による「武器講百刀会」だが、百振り打つはずの刀を四分の一も打たぬうちに行き詰ってしまう。
何のために刀を打つのかという悩みを抱えているところへ、金子重輔ら志士たちに接し交流をもったことで、勤王派の理想に目覚めたためであった。
それに気づいた清音は、このままでは勤皇派として捕縛されることもありうるので、江戸から出るよう清麿に勧めるのであった。
恩人の言葉に従い、江戸を離れた清麿は、長州などを放浪し、数年後、江戸に戻る。
しかし、それからまもなく、信州以来の縁がある佐久間象山からの手紙を吉田松陰に届けた清麿は、松陰が黒船への密航事件を起こしたことで、幕吏にその事を知られ、目をつけられてしまう。
やがて、捕り手が家に殺到すると、清麿は自ら命を絶ってしまうのであった。

山浦清麿は兄の山浦真雄ともども実在の刀鍛冶で、作中に出て来る「試刀会」も「武器講」も史実とされていますが、一方で吉田松陰や、松陰とともに密航事件をおこす金子重輔と交流し、その影響で勤王思想を持っていたように書かれているのは、全くのフィクションであるようです。

初出は昭和13年9月発行の『講談倶楽部』臨時増刊号。

単行本としては「吉川英治全集48 短編集2」(昭和58年 講談社)が最後となります。

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