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2007年8月18日 (土)

金銭感覚

館の職員の女性が、某百貨店のクラブ会員になって割引ポイントを貯めていて、あと140円の買い物をすれば2000円の割引が受けられたのに、有効期限切れでふいにしてしまったと騒いでいるので、思わず、ケチくさいこと言ってますね、と笑ったのですが、それでこんな話を思い出しました。

吉川英治の末弟・晋の遺した文章(「兄・吉川英治」、『草思堂だより』第6巻第1号所収)の中で、こんなエピソードが紹介されています。

昭和五、六年ごろの円タク氾濫時代、兄とよく銀座あたりを飲み歩いての帰り、私がタクシーを拾う役で「芝公園まで」「八〇銭」「OK」と、新しい外車かなんかをつかまえ気分よく帰宅すると、
『晋、ちょっと』
と兄のきびしい顔が私を呼んでいる。
『見ていると、お前はいつもタクシーの云い値をそのまま乗っているが、なぜ値段の交渉をしない、そんな殿様みたいな気持ちでどうする』
と、きついお叱言があった。

英治は、家の没落のため小学校を中退させられ、わずか11歳で奉公に出され、以後、30歳を過ぎて作家として成功するまで苦しい生活を余儀なくされました。
一方、晋は英治より15歳年下。
吉川家がどん底に喘いでいた時代にはまだ物心がついていませんでした。
底を脱した後も、英治が作家として成功するまでは決して裕福ではありませんでしたが、英治は晋に対しては色々気を配って、高級な文房具や上質な本を買い与えていたということが、上記の引用部分の前で書かれています。

そういう育ってきた環境の差が、現れているのでしょう。

ところで、こんなエピソードがあります。

いよいよ家計も切りつめなければ(略)、と遅まきながら母も考えてきたらしい。(略)ところが、母はまもなく近所の人から、物珍しげな笑い者にされていた。というのは、母が外へ出る姿を見ると、長年の習慣から、斜向いのカゴ虎の若い衆が、黙っていても、すぐ足許へ、人力車の梶棒をもって来て下ろすのだった。それが母には、どうしても断れないで、じつは初音町付近まで、ネギや片肉の買出しに行くのでも、ついそれに乗ってしまうのである。だから、女中を廃したくせに、八百屋や乾物屋の買物にも、人力車に乗ってゆくといって、界隈の人目が蔭で笑っていたのもむりはない。

自叙伝「忘れ残りの記」の中で、家運が絶頂から急転、どん底へ向けて転落し始めた頃の話として、書いているものです。

絶頂期に買い込んだ家財を、少しずつ道具屋や質屋に持ち込んで、どうにか体面を保つといった状況の中でのことですから、滑稽であり、物悲しくもあります。

晋を叱る英治の脳裏には、この時の情景が思い出されていたのかもしれません。

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