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2007年9月 2日 (日)

山崎闇斎の碑

碑銘や碑文の揮毫というのは、「意匠」というにはやや違和感がありますが、今回の「吉川英治の意匠」展では、そういう類のものをいくつか展示しています。

過去にこのブログで紹介した蟹江の碑呼潮へんろ塚の写真や関連資料もあります。

そんな中からひとつご紹介。

≪山崎闇斎先生奉献の辞≫石碑

兵庫県宍栗市山崎町にある闇斎神社にあります。
闇斎神社はその名の通り山崎闇斎を祀った神社で、昭和15年に創建されています。

当時の新聞などの記事によると、経緯はこういうものです。

昭和35年、朝日新聞社の編集者で「新・平家物語」の成立にもかかわった嘉治隆一が、ある時、古書店で山崎闇斎の木像を発見。
その年、たまたま山崎町を訪ねた際に、その話をしたところ、入手したいとの申し入れがあった。
さらにその後、どうやらそれが伊藤仁斎の孫・伊藤善韶が所蔵していたものらしいということが判明。
一連の話を吉川英治に伝えたところ、吉川英治が「自分がそれを購入して寄付したい」と言い出した。
かくして、昭和35年11月22日に木像は山崎町に寄贈された。
これを記念して、石碑が造られ、昭和37年4月1日、山崎闇斎二百八十年祭に合わせて除幕式が行われた。

石碑には、吉川英治が書いた「山崎闇斎先生奉献ノ辞」という文章と、伊藤善韶が山崎闇斎の木像の背に書き込んだ文章の両者が刻まれています。
石碑の設計は森鷗外の娘婿である小森四郎によるものです。
また、同時に、川田順による山崎闇斎の像を詠んだ歌の碑も建てられました。

展示しているのは碑の写真と、「奉献の辞」の部分の拓本です。

なお、「奉献の辞」の碑文に記された日付は「昭和三十五年十一月 文化の日」となっています。
碑の序幕の日付と違っていますが、これは、碑文になった文章が、木像が寄贈される直前に嘉治隆一の乞いによって木像の箱に箱書きをした文章に肉付けしたものだからでしょう。

ちなみに、昭和35年11月3日の文化の日は、吉川英治が文化勲章を授与された日です。

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