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2007年11月20日 (火)

みやぎの昔ばなし

仙台文学館から企画展のチラシが送られてきました。
「みやぎの昔ばなし ―佐々木德夫の仕事から―」という企画展です。

タイトルと、裏面に印刷された写真を見て、オッと思いました。

タイトルに名前の挙がっている佐々木德夫さんは、宮城県の高校で教諭として勤めながら、消えゆく昔話の採集のために宮城のみならず東北一帯を調査して歩き、1万を越える昔ばなしを掘り起こし記録してきた方です。

その功績に対し、平成4年に第26回吉川英治文化賞を差し上げています。

私は、直接お話しなどはしたことがありませんが、吉川英治賞の贈呈式で姿を拝見しているので、チラシに掲載された写真を見て、アッと思ったわけです。

特にお付き合いも無いので近況を存じ上げませんでしたが、12月16日には文学サロン「昔ばなしを集めつづけて」というイベントにご出演になると告知されていますので、ご健在ということなのでしょう。
吉川賞の要項によれば昭和四年生まれで、今年78歳のはずですから、実に何よりのことだと思います。

仙台周辺にお住まいの方、ぜひお運び下さい。

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2007年11月16日 (金)

電子文庫

以前、こんなことを書きました。

今になって、電子文庫版の『宮本武蔵』のデータを持っていることを思い出しました。

早速、検索をしたみたところあっけなく判明。

当該箇所は、「火の巻」の中の「奔馬」という章にありました。
武蔵の後を追うお通が、やはり武蔵を追う宍戸梅軒と遭遇してしまうという場面を描いた章です。

それにしても。

電子文庫のことを忘れていたのは、普段はどうしても紙の冊子の方を使うからです。
パソコンで自分が作成した文書を読む分には苦にならないのですが、電子文庫となると、なんだか読み辛いのです。
縦書きのせいでしょうか。

しかし、≪書籍≫としては扱いにくい電子文庫も、作品中の特定の語彙を検索するには、実に便利な代物です。

あらゆる文学文学作品が電子テキスト化されれば、研究者は楽になるでしょう。

一般読者にとってのメリットは、よくわかりませんが。

ちなみに、いま手元には『宮本武蔵』『三国志』『新・水滸伝』『鳴門秘帖』『神州天馬侠』『上杉謙信』『黒田如水』のデータがあります。
これらの作品についての問い合わせには、手早く対応出来そうです。

もっとも、この中では、『宮本武蔵』以外には、それほど問い合わせはありませんが。

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2007年11月15日 (木)

アートプログラム青梅を観に行く

せっかくなので、時間をみてアートプログラム青梅の作品を観に行っています。
14日から始まった学生の作品展示はまだ観ていませんが、先日は中心会場である青梅織物工業協同組合の諸会場を訪ね、今朝は青梅市立美術館市民ギャラリーに行ってみました。

展示の概要はこちらを見ていただくとして、若干の感想を。

昨年も気になった作間敏宏さんの「colony」。
今年は敷地内の≪女子更衣室≫の建物での展示でした。
1階の下駄箱に、やはり名前を書いた布をたたんで収めてあり、2階では空間には手をつけず、様々な人の声が名前を連呼する音声が流されていました。
もともと長年使用されずに放置されていた部屋に、人名だけが々流れるというのは、やっぱり不気味。
何かの言葉ではなく、名前というところが、特に。

しかし、これ、音が建物の外でもはっきりと聴こえるほどで、隣家から苦情が来ないのか、と心配になる作品でした。

青梅市立美術館市民ギャラリーでの展示は「OME MIXING」というタイトル通り、5人の作家の作品を明確に区別せずに混在させた作品。
と言っても、完全に融和しているという感じではなく、これが誰で、これは誰と、容易に区別はつくのですが。

この5人のうち、内田あぐりさんは現在当館の母屋にも作品を展示中。
そして、岡部史朗さんは昨年母屋に作品を展示した学生の一人です。

岡部さんのものは、ドローイング3点と壁面に投影したアニメーションなのですが、何となく子供の頃に学校で受けさせられた≪色盲検査≫のあの模様を思い出してしまいました。
最近は学校では検査しなくなったというふうに聞いていますが、若い岡部さんの世代では受けたのか受けていないのか。

聞いてみたかったのですが、会場に作家が誰一人いなかったので、聞けませんでした。

ま、どうでもいいことですが。

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2007年11月14日 (水)

柿赤し

ということで、柿の句をいくつかご紹介。

既に、これこれこれをご紹介済みなので、それ以外で。

柿赤しそば喰ふ宿の裏おもて
坂多き青梅の町や柿赤し
柿赤し坂の石垣宿場町

あ、紹介済みのものを除くと3句しか見つからなかった(苦笑)

3句とも、ここ青梅で詠んだものです。

この場合の≪青梅≫は、当時の青梅町でしょう。

現在の青梅市は、青梅町・霞村・調布村・吉野村・三田村・小曽木村・成木村の1町6村が合併したもの。
最初に青梅町・霞村・調布村が合併したのが昭和26年、残りは昭和30年の合併なので、昭和19~28年に吉野村に住んだ吉川英治にとっては、青梅は隣町という感覚だったと思われます。

多摩川北岸の河岸段丘上にある旧青梅町は、現在の青梅駅北側の永山から多摩川に向けて急傾斜になっており、そこを指して≪坂多き≫≪坂の石垣≫という表現になっています。

また、近世には現在は旧青梅街道と呼ばれている『青梅街道』の重要な宿場町として栄えたので、そこに言及しています。

柿の実のなる風景は、横浜・東京という町場での生活が長かった吉川英治にとっては、青梅と強く結びついているものなのかもしれません。

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2007年11月13日 (火)

柿食えば

Img_9568_2
今年はどこも柿の実が豊作でもてあましているというので、すこし分けてもらって吊るし柿にしてみました。

私一人で、100個余りの柿の皮を剥いて、縄につけて、吊るしました。
慣れない素人なので所要時間4時間ほど。

本当はもう少し数があった方が見栄えするのですが、もうこれで勘弁して、って感じですね。

いや、勘弁も何も、自分で発案したことですが。
Img_9571

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2007年11月11日 (日)

今年の草思堂菊花展は本日で終了です。

その名残に、吉川英治の菊の句で、まだご紹介していないものをいくつか。

菊見るやいつもありたきこの心
白菊や黄菊もすこしありてよし

この句には語順を変えたり、表現を変えた類句がいくつかあるのですが、私はこれがおさまりが良いように思います。

ふまれてもふまれても菊咲いてゐる
ひらかたや菊の人出に雨こんこ

これは有名な「菊作り・・・」の句と同じ時のもの。

九郎冠者まかる小坪のかむろ菊
ともしらが菊の香ともに染みたまへ

古稀の祝いに人に贈ったものです。

花の性質上か、華やかな感じの句は無いですね。

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2007年11月10日 (土)

今年の菊花展の投票結果

今年も、草思堂菊花展は来館者の投票で優秀花を決めることになっています。

その投票結果が出ました。
以下の通りです。

◎草思堂賞

盆養の部=木下精一(聖光の朝)


◎吉川英治記念館館長賞

懸崖・盆栽の部=吉田忠(北都の金星)


◎紅梅苑賞

福助・ダルマの部=山崎徳信(国華金山)

ちなみに、カッコ内は品種です。

今年は、天候不順で開始時点ではまだちゃんと咲いていない花ばかりだったり、途中で台風があったり、と心配しましたが、何とかそれなりの結果になりました。

花はこの日曜日まで展示していますので、どんな花が入賞したのか、気になる方はぜひご来館下さい。。

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2007年11月 9日 (金)

「文学界」

住井すゑの話は、言ってみれば、菊池寛が金を出さなかったので吉川英治にお鉢が回ってきた、という話でもあるわけですが、似たような例があります。

林房雄の「吉川さんと「文学界」」(『吉川英治とわたし』所収)、小林秀雄から話を聞いたという大野風太郎の『吉川英治 下駄の鳴る音』(葉文館出版 平成9年)によれば、こういう話です。

昭和8年、川端康成、小林秀雄、武田麟太郎、林房雄らを編集同人として雑誌「文学界」が創刊されます。
紆余曲折ありつつ、現在は文藝春秋社から発行されていますが、当初は小出版社から発行していた、同人誌でした。
運営は経済的には非常に苦しく、最初の版元は倒産を余儀なくされています。

そうした状況を見た菊池寛が、小林秀雄と林房雄を呼び、ちゃんと原稿料を出さなければ雑誌は長続きしない、とアドバイスし、自分が毎月100円を提供しようと、申し出ます。
この100円は、50円ずつ2人の作家に対し≪文学界賞≫という形で手渡されることになりました。

ところが、この「文学界」の同人に青野季吉が加わったことで、菊池寛がつむじを曲げます。
「文藝戦線」の幹部である青野は「文藝春秋」の敵である、その青野まで入れたのでは金は出せない、というわけです。

「文学界」の幹部同人たちは、この事態に頭を抱えますが、その時突然、小林秀雄が、吉川英治に頼んでみよう、吉川さんなら見込みがある、と言い出します。
そして、小林秀雄が林房雄と2人で吉川邸を訪問、援助を依頼したところ、理由も聞かずに承諾してくれたばかりか、近所の料亭から料理をとってご馳走までしてくれた。

手近の資料だけで書いているので、不正確なところもあるかもしれませんが、そんな話です。

ちなみに、『日本近代文学大辞典』によると、青野季吉が同人になったのは昭和12年4月。
≪文学界賞≫は昭和11年2月から12年2月まで13回行われたことになっています。

してみると、吉川英治が「文学界」を援助したのは、昭和12年の5・6月ごろから、ということになるでしょうか。

援助は「かなり長い間」と林房雄は書いていますから、少なくとも2年ぐらいは続いたのでしょう。

ちなみに、『日本近代文学大辞典』の「文学界」の項目は小田切進が執筆したものですが、菊池寛も吉川英治も登場しません。

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2007年11月 8日 (木)

菊池寛、島崎藤村

漢文が読めなくて恥をかいたついでに、恥の上塗りを。

以前、住井すゑについてこんな文章を書きました。

最近になって、住井すゑ自身がこのことについて書いた文章が、ごく身近にあったことに気がつきました。

現在も刊行中の『吉川英治歴史時代文庫』の巻末に「私の吉川英治」というコーナーがあるのですが、そのうち『新書太閤記(三)』(第24巻)に住井すゑが「名文の土壌」という文章を寄せており、そこにこの話が出てきているのでした。

それによれば、小川芋銭からもらった色紙は3枚。
まず1枚は親しくしていた野口雨情に買ってもらい、あとの2枚を持って住井すゑの夫・犬田卯が菊池寛と島崎藤村を訪ねたところ、菊池寛には買ってもらえなかったが、島崎藤村は買ってくれた。
残りの1枚を持って、今度は住井すゑが吉川英治を訪ねたところ、買ってくれた。

ということだったようです。

島崎藤村は買ってくれたんですね、すみませんでした。

ただ、あの話をしてくれたお客様は、何度か売りに行ったと聞いたとのことでしたが、この住井すゑの文章ではこの時一度だけのように書かれています。

どちらが正しいのでしょう。

それはそれとして

一面識もない氏ながら、たのめば、なんとかなるような予感がしていたのだ。

という住井すゑの文章には、なんとなく、苦笑してしまいます。
切羽詰っていたとはいえ、確信犯ですね、これは。

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2007年11月 7日 (水)

漢文は苦手

吉川英治の書を所蔵しているという方から、何が書いてあるのか教えて欲しいとのお尋ねをいただきました。

一勺水便具四海水味
世法不必盡嘗
千江月總是一輪月光
心珠宜当獨朗

これが、そのお尋ねの言葉です。

吉川英治の自作のものではなく、既存の漢文であるならば、ネットで検索すれば引っ掛かるのではないか。
そう考えて、検索してみました。

その結果、これは吉川英治が愛読した『菜根譚』の中に出てくる言葉だとわかりました。

しかし、どういうわけか、引っ掛かるのは中国語のサイトだけです。

しかも、そばにあった講談社学術文庫版の『菜根譚』を見ても、この言葉が出てきません。

何故?

文庫の解説を読んで合点がいきました。

『菜根譚』には大きく2系統の異本があるというのです。

ひとつは日本で主に流布している『前集』『後集』の2編からなるもの。
もうひとつは、中国では流通しているが、日本ではほとんど読まれていない『修省』『応酬』『評議』『間適』『概論』の5編からなるものです。
後者の『概論』に含まれる言葉はおおむね前者に含まれているそうですが、他の4編の内容は前者との重複はないのだそうです。

どおりで文庫に掲載されていないわけです。

しかし、吉川英治はこの言葉を書いているわけですから、どこかでこれを知ったはずです。
そこで当館で保管している蔵書を探してみました。

幸田露伴監修による『詳解全訳漢文叢書第12巻 菜根譚・言志四録』(至誠堂出版 昭和3年)が見つかりましたが、『前集』『後集』のもので、この言葉は出てきませんでした。

となると、短時間では見つけられそうもありません。

仕方が無いので、自分で訳して、お尋ね下さった方への回答としました。

わずか一勺の水も天下すべての水の味と同じである
だから、世の法をすべて試みる必要はない
千の川面に映じる月も本をただせば同じ月の光を映したものである
だから、人の心もまたそのようにそれぞれが明るくあるべきである

三行目までは間違っていないと思いますが、四行目の訳には自信がありません。
文学館の学芸員のくせに、古文・漢文は苦手なのです。

どなたか正しい訳をご教示下さいませんか?

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2007年11月 6日 (火)

お願い

去年もこんなことを書いたのですが、今年もありがたくない事態になりました。

展示室のロビーに東京造形大学の学生の作品が展示してあります。
先日来ご紹介のアートプログラム青梅に関わる作品です。

ショーケースのガラスの内側と外側に彩色した透明のプラスティックのボウル状のものが貼り付けてある作品ですが、その外側に貼り付けてあるボウルを引っ剥がした人がいます。

うっかり、ではなく、わざわざ、そうしたようです。
意地になって剥がしたような痕跡が残っています。

信じられません。

自分の感覚に無いものが展示されていると、「何だ、これ?」と思って、つい触れてしまう人がいるのは、仕方が無いことだと思っていますし、指でつつくくらいは想定の内だと、許容してもいます。

しかし、壊すのは論外です。
全くもって神経を疑います。

いや、剥がされただけで、作品として完全に壊れたわけではありませんが、非常に不愉快です。

ちなみに、同じ学生が野外展示している作品は、釘で地面に固定してあるのですが、それを引っこ抜こうとした人もいたようです。
途中まで抜けて浮き上がっていたので気がつきました。

展示し始めて3日で、実害の出るような干渉が2件です。

いい加減にして欲しいものです。

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2007年11月 4日 (日)

産業観光まつり

いまさらですが、昨日、今日の2日間、青梅市内の永山公園で第40回おうめ産業観光まつりが行われています。
青梅ミュージアム協議会としてブースを設置して、PR活動を行っています。
今日は私も手伝いに来ています。

ご興味のある方、ついでのある方はぜひお越し下さい。

ヒマだという方は、ぜひ、そのまま青梅ミュージアム協議会加盟の吉川英治記念館、玉堂美術館、御岳美術館、櫛かんざし美術館、青梅きもの博物館にも足を運んでください。

よろしくお願いいたします。

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2007年11月 3日 (土)

アートプログラム青梅2007開幕

ということで、本日からアートプログラム青梅2007がスタートします。

2007_2
詳しいことは上のリンク先で見ていただくとして、当館では内田あぐりさん、母袋俊也さんと、東京造形大学の学生、大久保具視さんと高橋和臣さんの作品を11月25日まで展示いたします。

学生2人の作品は、庭園内に野外展示しています。
これは初めての試みです。

作品については、アーティスト自身の言葉を読んでいただきましょう。
こちらをご覧下さい。
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2007年11月 2日 (金)

野球

プロ野球日本シリーズが思わぬ形で終了しました。

そう言えば吉川英治が日本シリーズをテレビ観戦したのはいつのことだったかな、それをブログのネタにしようと思ったら、既に書いていました

そのままでは残念なので、その時には触れなかったことを。

同じ昭和31年、日本シリーズが終了して1ヶ月近く後の11月10日の秘書の記録にも、野球をテレビ観戦したとあります。

先生午前中ゲラ直し、十一時半オールウェザーにてレッスンされた後、お茶の水歯科医大へ歯の治療に御出掛、十二時四十分終了後、帰路銀座にて、軽食召上り、再びオールウェザーにてレッスンされた。御帰宅後むし風呂、電気、なされた後テレビーにて野球見物をなされた。

ちなみにこれが全文です。

「オールウェザーにてレッスン」というのは、ゴルフのこと。
直後の11月14日に「週刊朝日」主催のゴルフ大会に出席することになっていたため、それに備えてのことです。

「電気」というのは電気治療器にかかったということ。
実は健康マニアだった吉川英治は、いろんな治療法に挑戦しており、電気治療器もわざわざ購入して自宅で使用していたのです。

閑話休題。

で、日本シリーズから随分経ってから何の野球を観戦したのかと思って調べてみました。

この年、大リーグのブルックリン・ドジャースが来日し、10月19日を皮切りに日本のチームと18試合(ドジャースの14勝4敗)を行っています。

11月10日には、後楽園球場でドジャース対全日本の試合が行われています。

なるほどそういうことかと合点がいきましたが、調べた結果わかったのは、この試合がデーゲームだったということ。
正確な試合開始時間はわかりませんでしたが、テレビ放送は13時40分に始まったようです。
昔は今よりも野球の試合の所要時間は短かったので、試合の途中から見るにしても、せいぜい15時には家に戻っていたいところ。
となると、歯の治療の後、随分あわただしいスケジュールで行動していたことになります。

ゴルフレッスンに1日2度も行っていますが、トータルで1時間にも満たないのかもしれませんね。

まあ、執筆の合い間を縫ってのことですから、こんなものなのかもしれませんが、人気作家は大変だなと思えます。

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