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2007年11月 9日 (金)

「文学界」

住井すゑの話は、言ってみれば、菊池寛が金を出さなかったので吉川英治にお鉢が回ってきた、という話でもあるわけですが、似たような例があります。

林房雄の「吉川さんと「文学界」」(『吉川英治とわたし』所収)、小林秀雄から話を聞いたという大野風太郎の『吉川英治 下駄の鳴る音』(葉文館出版 平成9年)によれば、こういう話です。

昭和8年、川端康成、小林秀雄、武田麟太郎、林房雄らを編集同人として雑誌「文学界」が創刊されます。
紆余曲折ありつつ、現在は文藝春秋社から発行されていますが、当初は小出版社から発行していた、同人誌でした。
運営は経済的には非常に苦しく、最初の版元は倒産を余儀なくされています。

そうした状況を見た菊池寛が、小林秀雄と林房雄を呼び、ちゃんと原稿料を出さなければ雑誌は長続きしない、とアドバイスし、自分が毎月100円を提供しようと、申し出ます。
この100円は、50円ずつ2人の作家に対し≪文学界賞≫という形で手渡されることになりました。

ところが、この「文学界」の同人に青野季吉が加わったことで、菊池寛がつむじを曲げます。
「文藝戦線」の幹部である青野は「文藝春秋」の敵である、その青野まで入れたのでは金は出せない、というわけです。

「文学界」の幹部同人たちは、この事態に頭を抱えますが、その時突然、小林秀雄が、吉川英治に頼んでみよう、吉川さんなら見込みがある、と言い出します。
そして、小林秀雄が林房雄と2人で吉川邸を訪問、援助を依頼したところ、理由も聞かずに承諾してくれたばかりか、近所の料亭から料理をとってご馳走までしてくれた。

手近の資料だけで書いているので、不正確なところもあるかもしれませんが、そんな話です。

ちなみに、『日本近代文学大辞典』によると、青野季吉が同人になったのは昭和12年4月。
≪文学界賞≫は昭和11年2月から12年2月まで13回行われたことになっています。

してみると、吉川英治が「文学界」を援助したのは、昭和12年の5・6月ごろから、ということになるでしょうか。

援助は「かなり長い間」と林房雄は書いていますから、少なくとも2年ぐらいは続いたのでしょう。

ちなみに、『日本近代文学大辞典』の「文学界」の項目は小田切進が執筆したものですが、菊池寛も吉川英治も登場しません。

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