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2008年1月31日 (木)

伊藤整

昨日触れた講談社の雑誌『日本』にまつわる面白い話が、「終戦後文壇見聞記」(大久保房男 紅書房 2006年)の中で紹介されています。

昭和33年1月号をもって創刊された『日本』ですが、その創刊号から吉川英治は「新・水滸伝」を連載します。

その同じ創刊号にエッセイを寄稿していたのが伊藤整。
これは連載エッセイの予定だったのですが、創刊号を見た伊藤整が「連載をやめる」と言い出したため、当時講談社社員だった著者が、連載継続の説得に向かいます。

そこで、伊藤整が著者に述べた連載をやめる理由というのが、吉川英治の連載が9ポイント3段組なのに、自分の連載が8ポイント4段組なのは気に入らない、ということでした。

ワープロソフトでも用いる言葉ですから、出版に詳しくなくてもご存知でしょうが、ポイントというのは文字(当時ですから“活字”)の大きさで、数が大きいほど文字も大きくなります。
段組は、もちろんページ内に文字を何段に組むかということで、段数が多いほど、文字がぎっしり詰まった感じになります。

大きな文字でゆとりを持って掲載する方が≪格上≫で、小さい文字でギッチリ詰め込む方が≪格下≫という意識が当時はあり(そういう印象は今でも持つでしょうが)、それに照らして、伊藤整は、俺を吉川英治より格下扱いするとはけしからん、となったわけです。

しかし、格下扱いは我慢ならないといっても、吉川英治と伊藤整では吉川英治の方が13歳年上(明治25年と明治38年)です。
また、伊藤整が郷里の北海道で処女詩集「雪明りの路」を自費出版するのは大正15年で、吉川英治はその時、既に専業の作家として連載を複数抱えていました。
つまり、人としても作家としても吉川英治の方が先輩です。

また、著者が、吉川英治のものは小説で、こちらはエッセイだから、と言っても、伊藤整は聞き入れなかったそうです。

とどのつまりどういうことかと言えば、

芥川龍之介が「中央公論」に対して、読み物作家の村松梢風と目次に並ぶのは厭だと言ったように、大衆作家より自分を優遇せよとは言わないけれど、純文学作家として大衆作家の風下に立つようなことはしたくない、と伊藤さんは私に言った。(P99)

人としても、作家としても先輩だけど、アイツは大衆作家じゃないか、俺は純文学作家なんだぞ、ってことです。

ははぁ、純文学作家ってエライんですね(笑)

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