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2008年1月14日 (月)

二十歳

今日は成人の日です。

日本では成人とは20歳ですが、さて、20歳当時の吉川英治というのはどういう様子だったのでしょうか。

明治25年(1892)生れの吉川英治にとって、満20歳の年というのは明治45年(1912)になります。
7月に明治天皇が崩御、大正天皇が即位し、大正元年となる年です。

明治43年12月30日に横浜から東京に出てきた吉川英治にとっては、実質的に東京生活2年目の年になります。

この年の大きな出来事としては、英治以外の家族が横浜を引き払って皆で東京に出てきたことが挙げられるでしょう。
といっても、この時の英治は会津蒔絵師の徒弟となって、その家に住み込んでいたので、家族全員が同じ家に同居するようになったわけではありませんでしたが。

もうひとつ、当時のことなので、20歳に達したことで徴兵検査がありました。

徴兵検査は浅草区役所でうけた。一家の戸籍もそのとき東京へ持ってきた。検査日の当日、徴兵司令官というか、さいごの認定をうける所へ来たら、いかめしき人が、つらつらぼくの裸身と検査表とを見くらべて、
「今日の有為な青年が、そんな弱さで君どうするんか。体重といい身長といい、なんたるヘッポコか。しっかり鍛えい」
と、大勢の中で、ぼくを見本において、一場のお説教を垂れた。体重十二貫、丙種であった。

「忘れ残りの記」に、こう書いています。

徴兵検査では甲種・乙種が合格で、丙種は身体的な欠陥ありとして現役に適さないと判断されたということになります。

明治6年に制定された徴兵令では、身長が5尺1寸(約155cm)に満たない者は欠格とされたようなので、吉川英治の身長はそれ以下、150cmくらいだったのでしょう。
十二貫は45kg。

吉川英治は小柄であったとは聞いていますが、こうして数値で見ると、本当に小柄だったことが実感できます。

この徴兵検査の年には北清事変、2年後には第一次世界大戦が勃発、6年後にはシベリア出兵もあるなど、軍隊が活発に動いていた時代でありながら、吉川英治は軍隊経験はないまま、20代を過ごすということになるわけです。

小柄が幸いしたと言えるでしょう。
本人がそれを幸いと考えていたかはわかりませんが。

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