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2008年1月12日 (土)

武蔵の刀

昨日、宮本武蔵の刀がどのようなものだったか知りたいというお問い合わせの電話がありました。

私にとっての宮本武蔵は、吉川英治が作品に書いた人物というレベルであって、通り一遍なことしか知りませんので(いや、そんなことではいかんのですが)、≪武蔵の刀≫というようなことになってくると、お手上げです。

恥ずかしながらそういう次第で、と正直に申上げて、他をあたっていただくようにお願いしました。

電話を切った後、でも、一応はこの随筆のことをお教えした方が良かっただろうかと、ちょっと後悔しました。

吉川英治の「随筆宮本武蔵」の中に、実は武蔵の刀について書いた『佩刀考』という文章があるのです。

吉川英治がそこに名を挙げている刀にはこういうものがあります。

・武蔵正宗

岩倉家所蔵で、重要美術品。
武蔵が愛用した刀というので、この通称があるそうだと吉川英治は書いていますが、異説もあるようです。
吉川英治は徳川吉宗が諸国の名刀を集めた際のひとつとしていますが、徳川家から岩倉家に渡った経緯については「維新の頃か明治になってから後か、新聞の記事で知ってふとそんなことを考えてみたりした」と書いています。

今ちょっとネット検索した限りでは、明治15年に徳川家達が、江戸城無血開城における功績から山岡鉄舟に「武蔵正宗」を下賜したが、鉄舟が自らには過分として岩倉具視に贈ったのだそうです。

吉川英治がこの随筆を書いたのは昭和14年なのですが、その頃には知られていない事実だったのでしょうか?

・伯耆安綱

・兼重

この二つは「八代聞書」に記載があるものとしています。
このうち兼重は長岡佐渡に形見分けされたものなのだそうです。

・国宗

武蔵から春山に形見分けした刀、と吉川英治は書いていますが、根拠は書かれていません。

この他、熊本の島田家所蔵の刀とか、武蔵顕彰会の「宮本武蔵」に掲載されている吉岡伝七郎(実際には顕彰会本では又七郎となっているが)を斬った刀にも触れています。

それぞれの刀が本当に武蔵のものだったのかどうかは、私にはわかりません。

ただ、吉川英治も触れているように、宮本武蔵は「独行道」に

兵具は格別、余の道具たしなまず

と書いていますから、他のものはともかく刀へはこだわったと思われます。

経済状態や身分によって持ち得る刀には制限はあるのかもしれませんが、中には名のある刀もあって不思議はない、という気はします。

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