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2008年2月17日 (日)

新漫画派集団

新漫画派集団は、昭和7年に近藤日出蔵、横山隆一などの当時の若手漫画家が結成したグループです。
共同で事務所を構え、マネージメントなども行っていたようです。

その設立メンバーで「フクちゃん」で知られる横山隆一がこんな思い出話を書き残しています。

新漫画派集団の事務所にある日、仲間の吉田貫三郎がやってきて

おい、皆んなよろこべ・・・・・・吉川英治の新聞小説の挿絵を自分が描く事になった

と言うので、「お前の挿絵のために、どうして俺達が喜ぶんだ」と笑った。
それ以後、打ち合わせなどで吉川英治に会う度に、事務所にやって来ては、吉川英治の偉大さについて一席ぶっていくという張り切りぶりなので、皆で成功を祈っていた。
ところが、やがて連載が始まると、吉川英治の原稿が遅れて資料調べが出来ない上、編集部からとやかく言われると、泣いたりわめいたりするようになり、皆たまりかねて、「ここは漫画を描くスタジオだ、挿絵は自分の家で描け!」と大騒ぎになった。
結局、吉田貫三郎は挿絵を降り、別の画家に交代となった。

という話です(「南方を飛んだ吉川さん」『吉川英治全集月報52』所収)。

調べてみると、『時事新報』に連載(昭和9年1月10日~7月6日)された「大都の春」という作品の挿絵を吉田貫三郎が担当しています。

そして、このおよそ半年の短期連載の作品に、挿絵画家が3人も関わっています。

最初が吉田貫三郎(~67回)、以下、山上泉(68~97回)、富田千秋(98~174回)です。

先日の「続鳴門秘帖」同様、作家が苦しむと挿絵画家も困って、交代したり、一時的に代筆したりして複数が関与することになるのでしょう。

ちなみに、吉田貫三郎と山上泉は、吉川作品に関わったのはこの1作だけです(富田千秋だけはこの後に3作品を手がけています)。
他の作家の挿絵を描いたのかどうかはわかりませんが、吉川英治に関しては、「もうこりごり」というところでしょうか。

ここ数日、なんだか「吉川英治がいかに挿絵画家を苦しめたか」という同じ話を手を変え品を変えてしているような気がしますが、まあ、気のせいということで。

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