« 続鳴門秘帖 | トップページ | 主婦の友 »

2008年2月11日 (月)

挿絵の8人

昨日の記事からもリンクをつけましたが、吉川英治の作品の挿絵を最も多く描いた画家は小村雪岱です。
今回の「吉川作品の挿絵・装丁画の世界」展でも、「遊戯菩薩」という作品の挿絵原画を展示しています。

では逆に、1作品で最も多くの画家が関わった作品は何になるのか調べてみました。

吉川英治の「太閤記」は、読売新聞に昭和14年1月1日~20年8月23日まで連載された作品です。

お分かりの通り、戦時下で書き継がれた作品です。
当時、新聞の連載小説は朝刊に現代小説、夕刊に時代小説という慣例がありました。
戦時中、用紙不足などから、新聞雑誌の統廃合が行われましたが、読売新聞では夕刊を廃止することになった際、この慣例を破って、「太閤記」を朝刊に移して連載を継続したという逸話の残る作品です。

ちなみに、吉川英治は、昭和20年8月15日の玉音放送を聞いて、その日から2年ほど小説を書かなくなるのですが、あらかじめ渡してあった原稿がそのまま掲載されたため、8月23日まで連載は続いています。

この「太閤記」の挿絵を担当した画家が、実に8人います。

近藤浩一路・江崎孝坪・福岡青嵐・木村荘八・玉村吉典・新井勝利・北村明道・森村宣永の8人です。

およそ6年8ヶ月に及ぶ連載ですから、挿絵画家の途中交代があっても、それ自体は不思議ではありません。
「宮本武蔵」だって、前半(矢野橋村)と後半(石井鶴三)で画家が代わっています。

ただ、8人というのは、いかにも多すぎます。
おそらく、戦時下ということもあって同じ画家が継続して担当することが難しかったのでしょう。

ところで、現在「新書太閤記」として単行本化されている作品は、この「太閤記」と昭和24年に地方紙に連載された「続太閤記」をあわせたものです(厳密にはその両者を繋ぐ部分を書き下ろしています)。

この「続太閤記」の挿絵画家の分を加えると、「新書太閤記」としては9人以上の画家が関与した、ということになるところなのですが、実は、こちらの挿絵は新井勝利が1人で担当しています。
新井勝利は「太閤記」の方でも挿絵を描いていますから、「新書太閤記」として考えても、やはり8人ということになります。

ちょっと残念(笑)

今回はその新井勝利による「続太閤記」の挿絵原画を展示しています。


|

« 続鳴門秘帖 | トップページ | 主婦の友 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 続鳴門秘帖 | トップページ | 主婦の友 »