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2008年2月10日 (日)

続鳴門秘帖

昨日から始まった「吉川作品の挿絵・装丁画の世界」展ですが、挿絵に関することでは、過去にこんなことやらこんなことをご紹介したりしてきましたが、展覧会に合わせて、またちょっとしたエピソードをご紹介してみます。

まずは、昨日、展示するのは初めてだと書いた鴨下晁湖の「続鳴門秘帖」連載挿絵原画について。

吉川英治の「続鳴門秘帖」は、そのタイトル通り、大阪毎日新聞に連載されて吉川英治を人気作家に押し上げた名作「鳴門秘帖」の続編です。
博文館の編集者であった本位田準一が、粘り強くその執筆を求め、同社の雑誌『文藝倶楽部』の昭和3年4月号から連載が始まりました。

しかし、吉川英治は依頼は引き受けたものの、元来続編を視野において執筆していたわけではない「鳴門秘帖」を、その先どう展開させるのかに苦しむことになります。
そして、とうとう、翌昭和4年6月号を最後に、連載15ヶ月、1回休載があるので全14話にして、未完のまま中絶してしまいます。

さて、そんな作品なのですが、そのたった14回の連載に関わった挿絵画家が、実は3人もいます。
当館で入手し、今回原画を展示している鴨下晁湖の他に、高畠華宵と竹中英太郎も挿絵を描いているのです。

細かく言うと、連載第1・2回は高畠華宵が担当しましたが、第3回から鴨下晁湖に交代しています。
ところが、第7回と第10回だけ竹中英太郎が描いているのです。

どういう事情でこういうことになったのでしょうか?

吉川英治がこの作品の執筆に苦労していたということは、つまり、原稿も遅れ気味で挿絵画家への負担が大きかったということでしょう。
そのせいでしょうか。

ところで、吉川英治は240編ほどの作品を残していますが、歴史上の実在の人物を別にすると、複数の作品にまたがって登場する主人公というものが、ほとんどいません。
大佛次郎の鞍馬天狗、野村胡堂の銭形平次、林不忘の丹下左膳といったような、同じキャラクターで連作していくということを、吉川英治はしませんでした。

もし、吉川英治がこの「続鳴門秘帖」をきちんと書き上げ、それなりの人気を得ていたら、主人公の法月弦之丞をキャラクター化して更なる続編を書くことを求められていたかもしれません。
そしてそれを吉川英治が引受けていたら・・・

大佛次郎が鞍馬天狗と、ついに終生離れられなかったように、吉川英治も法月弦之丞に拘束されて、後世に遺した作品の質や種類が全く違うものになっていたのかもしれません。

その意味では、人生の岐路になった作品なのかもしれません。

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