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2008年3月30日 (日)

父の一日

桜の声が聞こえ、4月に月が替わると、もう誰も吉野梅郷の梅のことなど思い浮かべなくなります。
実際には、まだしばらくは十分梅見が出来るのですが。

そして、当館の今回の企画展「吉川作品の挿絵・装丁画の世界」も、本日で終了となります。

そんな梅の3月とは一区切り、という最後に、梅にまつわる、少ししんみりした話を。

吉川英治の父・直広は、明治の厳格な父親という側面を持つ反面、激しやすく、自分勝手な暴君的一面も持ち、また、酒癖もあまりよろしくない、そういう人物だったようです。
家を没落させ、英治が≪小学校中退≫で、世の荒波にもまれざるを得なくなる原因をなした人物でもあります。
それ以外にも様々な軋轢があり、英治の父親への思いには、愛憎半ばするものがあったようです。

そんな父親との梅にまつわる思い出が、「梅ちらほら」(随筆集「折々の記」所収)という文章の中に書かれています。

まだ家が没落する前の小学校時代のことでしょう、横浜の杉田梅園に父に連れられて二人で出かけたことがあったそうです。

途中、茶屋で≪うで卵≫を食べ、美味しかったのでもう一つねだったが、たまたま今食べた分で売り切れだった。

父が、「何でも、物は、も少しほしいという所がいいんだ。足らないから、なおウデ卵がうまかったろう」と云った。妙に、こんな平凡なことばが、一生忘れられない。

そして帰り道、蕎麦屋か何かに立ち寄ったのだが、一杯やった父親が大酔してしまった。

梅の一枝をかついで、さんさんと道をよろめき、時々、帽子を落したり、坐ってしまったりして、少年の僕を困らせた。まだ、根岸から電車もなかった時代なので、家に帰るまで、僕は、幾たびも、途方にくれた。しかし、父の印象として、なつかしく、今も思い出してうれしくおもうのは、なぜか、その日の父である。

昭和24年、57歳の時の回想です。

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2008年3月29日 (土)

さらに開く

引き続き、現在咲いている花です。

Iyo

イヨミズキに

Tosa

トサミズキです。

Wasabi

意外にかわいいワサビの花。

Nirin

ニリンソウです。

Sumire

まさにスミレの花咲く頃ですね。

Uguisu

ウグイスカグラも咲き始め

Mitsuba

ミツバツツジも、数輪花をほころばせています。


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2008年3月28日 (金)

花開く

珍しく、一日二度更新。

以下すべて、今日撮影した花々です。

春ですね。

Anzu

杏です。いつも梅が一通り咲いた頃に咲きます。

Mitsumata_2

ちょっと珍しい赤い花のミツマタです。

Baimo

地味目なところでバイモです。

Syunran

これもやや地味なシュンランです。

Syojo

ショウジョウバカマです。

Yamabuki

ヤマブキも咲いていました。

Sansyuyu

サンシュユです。

この他、カタクリがいま咲き誇っています。
シラネアオイも咲きそうな感じ。

どこを向いても花だらけです。

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梅は咲いたか桜は・・・

都心部の桜も満開のところが出てきたようで、テレビをつけるとニュースや情報番組ではそんな話題で持ちきりです。

そんなテレビの画面を見ていると、あるアナウンサーが、「やはり日本人は桜です」みたいなことを口にしました。

いやいや、古来日本で「花」と言えば梅ですよ。
日本の心である和歌に詠まれた「花」は、桜じゃなくて梅ですから。

と、力んでみても、「桜が咲いた!」というニュースが流れると、人の流れがどっとそちらに傾いて、当館周辺の吉野梅郷も人出がぐっと少なくなってしまいます。

でも、本当は、青梅市梅の公園などは今が満開ですし、当館の梅も、早く咲いたものは終ってしまいましたが、大半は満開過ぎの散り始め、遅咲きのものは今が満開手前という状況で、とてもきれいな状態なんですけどね。

よくご存知の方は、今時分に吉野梅郷にいらっしゃいます。
花は咲いているのに、人出が減っているので、のんびり花を見られますから。
梅以外の野草類も、一気に花開き始めましたし。

桜の花見の乱痴気を好まれない方は、この週末、吉野梅郷においでになると、気持ちの良い時間が過ごせると思いますよ。

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2008年3月26日 (水)

英語で言うと

関東のある中学校の校長先生から問い合わせがありました。

先日そちらの展示を見た時に、吉川英治の『我以外皆我師』という言葉の英訳があったと思うのだけれど、どういう表現だったか教えて欲しい。

現時点では、企画展用の内容にしているため展示していませんが、確かに、一部のキャプションを外国人用に英訳したパネルがあって、そこにそれが書かれています。

Everybody but myself is my teacher.

というのが、そこでの表現です。

それをお教えして、電話を終えましたが、時期的に考えると、卒業式か、入学式か、どちらかのスピーチ用ということでしょうか。

卒業式には適した言葉かもしれません。

『宮本武蔵』を書いた作家の吉川英治は『我以外皆我師』という言葉を座右の銘にしていました。
これから皆さんは学校という場所を離れて、それぞれの場所へ巣立っていきます。
そこでは、学校のように皆が机を並べて学ぶ時間はありませんし、そこには、学校のような先生はいません。
けれども、そこで出会う、人生の先輩や新しい友人たちは、皆さんにはない何かを必ず持っています。
そうした周りの人たちに謙虚に接して、その何かを学び取るという姿勢を持ち続ければ、一生成長し続けることが出来ます。
これはそういう意味の言葉です。

とか何とか。

あれ、でもどうして英語なんでしょう。

帰国子女とか、日系人とか、そういう英語の方が得意な生徒さんがいるんでしょうかね。

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2008年3月23日 (日)

まぼろしの邪馬台国

という映画が製作されているようです。

この映画で描かれている宮崎康平・和子夫妻は、実は吉川英治文化賞の第1回の受賞者です。
昭和42年のことです。

私はその時には2歳なので、もちろん何も存じ上げません。
受賞理由は知っていましたが、上記のリンク先の記事を見て、ああ、そういう方だったのかと初めて知りました。

個人的には、バカな映画を観て現実逃避するのが好きなので、趣味の範疇には入りませんが、機会があったら観てみたいと思います。

皆さんもご興味を持たれたら、ぜひ。

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2008年3月22日 (土)

集約って何を?

数日前ですが、こんなニュースがありました。

橋下知事 国際児童文学館「府立図書館などに集約化を」

というのが見出しですが、「集約化」というのは、どういうイメージなんでしょう。
どうせ同じ本を扱ってるんだから、図書館にまとめちゃえばいいじゃん、そしたら、ここは別のことに使えるし、ってことでしょうか。

「通常の図書館となぜ分離しているのかわからない。児童文学を子どもに広める機能は必要。例えば府立図書館に入るとしても、そこで特徴を出せばいい」

とコメントされたようですが、このご意見、どうなんでしょう。

図書館事情に通じていない私の勝手な意見ですが、図書館のあり方についてこんなイメージを持っています。

出版物は後世に伝えるべき重要な文化遺産ですが、現在存在する膨大な出版物を一つの図書館に集めることには無理があります(まあ、国会図書館はありますが)。
したがって、複数の図書館が役割分担していく必要があります。
つまり、分野を絞った「専門図書館」を、様々なジャンルで用意し、それによって効率よく、かつ、遺漏が無いように収書活動を行う。
その一方で、一般市民の読書活動を支える普及型の図書館を地域にこまめに配置する。
ただし、こちらは回転率の高いような本(話題の本や最新ベストセラーなど)を中心にごくわずかな蔵書しか持たず、本を保管することよりも専門図書館の情報(場合によっては本そのもの)を取り次ぐ窓口としての機能を高める。
もちろん、各都道府県単位でこれをやるのは負担が大きいし、効率的でもないので、一定の地域ブロックの中で、どこがどの分野の専門図書館を受け持つか調整していく。
その過程で、大量に重複する本が出てきたら、それは、それが不足している他の地域に移す。
研究目的の利用者は、初めからそのジャンルの図書館に行けばいいし、それが無理でも貴重本以外なら最寄の図書館へ取り寄せて利用できるようにする。

こういうイメージを持っている私としては、「集約化」とは特徴もなく総花的な蔵書を持つ既存の図書館を専門図書館化してネットワークを構築していくことであって、既にある専門図書館を廃止して蔵書を拡散させることではないと思えるのですが。

ちなみに、石原都知事が東京都近代文学博物館を廃止しましたが、あれは展示中心で図書館機能のない所でしたから、事情はかなり違います。

とは言え、日本を代表する東西の大都市で、経費節減の槍玉に真っ先に上るのが≪文学≫であるというところが、情けないと言うか、悲しいと言うか。

政治が文学を嫌うのか、それとも文学者自身の不徳なのか。

さて。

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2008年3月19日 (水)

杉本健吉展

表記の展覧会が愛知県美術館で開催されます。
会期は4月4日(金)~6月1日(日)。

本日、当館から貸し出す資料の搬出のために担当者が来館なさいました。

今回、当館からご提供するのは杉本健吉さんによる「涅槃図」と「涅槃図詞書」の2点だけです。

ただ、この展覧会は杉本家から愛知県美術館に寄贈され、今回が初公開になる資料を中心に構成されており、その中に吉川英治の「新・平家物語」の挿絵画稿類が多く含まれています。

当館にも数多くの杉本さんの挿絵画稿類をご寄贈いただいていますが、それ以外に発見された資料がどういうものなのか、私も興味があるので、会期中に何とか足を運んで見たいと考えています。

なお、会期中の4月19日(土)に、当館館長の吉川英明による「吉川英治と杉本健吉―新・平家物語を通じて」と題した講演が行われることになっています。

ご興味のある方は、ぜひお運び下さい。

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2008年3月18日 (火)

銀河万丈朗読ライブの受付終了

3月16日から受け付けておりました銀河万丈さんの朗読ライブの受付は、先ほど募集定員に達しましたので、終了させていただきます。
申し込み用メールアドレスも閉鎖いたします。

私の不手際で、ご迷惑とご心配をおかけいたしましたこと、平にご容赦下さい。

ご参加いただく応募者の方には、近日中にお知らせのメールを遅らせていただきますので、しばらくお待ち下さい。

よろしくお願いいたします。

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2008年3月16日 (日)

銀河万丈朗読ライブについてお詫び

4月12日に行われる銀河万丈さんの朗読ライブの申し込みにつき、今朝ご指摘があり、ミスが見つかりました。

当館サイト上の申し込みアドレスをクリックした場合、当方の設定ミスで別の存在しないアドレスに送信されてしまいます。

当館のサイトは、一旦業者を介さないと修正できないため、すぐに対応できません。

もしこちらのブログにお気付きになった方は、下記アドレスに改めてご送信下さい。

oubo-ginga@mbe.nifty.com

申し訳ございませんでした。
よろしくお願いいたします。

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2008年3月15日 (土)

カタクリも開花

まだ数株ですが、カタクリが咲き始めました。

ちなみにこれは一昨日に撮影したもの。
これから開花が本格化していきます。

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2008年3月14日 (金)

開花状況

草思堂庭園内のよく咲いている梅の木を選んで写真に撮ってみました。

ちなみに、青梅市梅の公園は五分咲きくらいだそうです。

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2008年3月13日 (木)

何か起きてます?

最近のアクセスの解析結果を見てみると、なぜだか「椋鳩十」について検索していて、ここにたどり着いた人が多くいます。

過去30日間の「検索ワード」では「椋鳩十」がトップになっていますし、それ以外に「椋鳩十 プロフィール」などというものあります。

なぜ?

今世間では椋鳩十ブームなんですか?

先日、展示室のクロスの張替え工事をやってくれた内装屋から、娘が学校の課題で検索していたら、このブログに行き当たった、ということを言われましたが、これもそんなことなんでしょうか?

こんど「椋鳩十」で検索してここに着いた方、なぜ検索したのか、理由を書き込んでくれませんか?

思い当たる節がなくて、モヤモヤしてます(苦笑)

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2008年3月12日 (水)

ドン

今日3月12日は「半ドンの日」なんだそうです、あるサイトによると。

「半ドン」というのは、土曜日のこと。

明治9(1876)年に、官公庁で土曜半休・日曜休日制が実施されたことにちなんだ日だそうです。

土曜半休どころか、週休2日になった現在では、「半ドン」なんて言葉も、もうすっかり死語と言っていいでしょう。
私にとっては、たまにご老人が口にされるのを耳にするくらいの言葉です。

ところで、「半ドン」の語源として私が聞いていたのは、オランダ語の「ドンターク」(日曜日)に対して、土曜日は半分休日だから半分「ドンターク」で「半ドン」となったという説です。

それに対し、参照したサイトでは

1871(明治4)年から皇居で毎日正午に大砲(午砲・ドン)を撃っており、土曜日はドンとともに仕事が終わることから、丸の内に勤める人たちの間で「半ドン」と呼ばれるようになった。ドンは全国の都市で行われるようになり、それとともに「半ドン」という言葉も全国に広まった。

という説の方をそれに先んじて紹介しています。

午砲のドンと言えば、吉川英治にこんな川柳があります。

立ン坊腹の底までドンを聞き

雑誌『講談倶楽部』大正3年8月号の投稿川柳欄の「腹」という課題に対して投稿されたものです。

この場合の「立ン坊」は、日雇い労働者のことでしょう。
その日の食い扶持にあぶれた「立ン坊」のすきっ腹に、正午のドンの音が空しく響く、そんな情景を詠んだものと思われます。

大正3年(1914)なら、英治は22歳。
それ以前の16歳頃、英治自身が日雇い労働者だったことがあります。

(略)自由労働者はみな草鞋だった。そのわらじが二銭か三銭していた。日雇賃銀は三十五銭で、夕方もらって帰るが、朝になると家には一銭ものこらない。どうかすると、昼の弁当さえ持ってゆけなかった。
冬の朝は、痛切にわらじが欲しい。コンクリート作業場の水汲みは、足袋はすぐ破れて、踵の肉を蝕まれ、踵の穴から血ウミが出てくる。わらじなしでは到底やりきれないが、そのわらじが買えないのだ。(略)
(「折々の記」所収『煙突と机とぼくの青春など』より)

そんな経験がこもった川柳だと言えます。


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2008年3月11日 (火)

菜根譚

以前こんなことを書きました。

昨日、書店で「清朝本全訳 菜根譚」(中村璋八訳注 東方書店 2006年)という本を見かけたので手に取ったところ、日本で主に流布している『前集』『後集』の2編からなるものではなく、『修省』『応酬』『評議』『間適』『概論』の5編からなるものを訳したものでした。
そして、そのうち『修省』の部分に、問題の言葉が掲載されていました。

もう一度ご紹介すると、

一勺水便具四海水味
世法不必盡嘗
千江月總是一輪月光
心珠宜当獨朗

これについて同書では

ほんのわずかな水も、世界中の海の水の味を具えている。俗世間で生きるには、必ずしも世俗の雑事をすべて体験する必要はない。
そこらじゅうの川に映る月も、その原点は天空の一つの月の光である。それぞれが持っている月の光のような汚れのない心だけは、独り輝かせておかなければならない。

という訳文をつけています。

私の訳も当たらずとも遠からずというところでしょうか(苦笑)

それにしても、本当に、吉川英治は何を通してこの言葉に接したのでしょうか?

その点はまだ謎のままです。

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2008年3月 7日 (金)

吉川英治賞

今年の吉川英治賞が決定し、新聞などで結果が報道されています。

第42回の吉川英治文学賞は浅田次郎さんの「中原の虹」全4巻(講談社)となりました。

浅田さんは平成7年に第16回吉川英治文学新人賞(「地下鉄に乗って」)を受賞なさっています。
昨年の宮部みゆきさんに続き、文学新人賞と文学賞の両方を受賞なさったことになります。

以前、こんなことを書いたことがありますが、改めて考えると、2000年以降、高橋克彦さん(2000年)・伊集院静さん(2002年)・北方謙三さん(2004)・宮部みゆきさん(2007年)・浅田次郎さん(2008年)と、ほぼ隔年でダブル受賞となっています。

賞の歴史が長くなってきたことを感じさせますね。

第29回の吉川英治文学新人賞は佐藤亜紀さんの「ミノタウロス」(講談社)となりました。

昨年が佐藤多佳子さんでしたから、佐藤続きですね、、、、って、意味が無いですか。

文化賞の受賞者の方々については、業績についての詳しい情報がまだこちらに届いていないので、報道から引用させてもらいます。

第42回の吉川英治文化賞は以下の方々です。

伊藤明彦さん
40年間にわたり全国の被爆者の声を収録し、施設に寄贈

岩澤信夫さん
田を耕さない「不耕起移植栽培」指導・研究・普及に尽力

児童虐待防止協会
子どもの虐待の相談と救助を目的とした日本初の民間団体

嶽釜徹さん
ドミニカ移住問題の解決に尽力

宮城信勇
20年以上かけ「石垣方言辞典」を完成し日本語研究に貢献

4月11日に贈呈式がありますので、その時にまた詳しくご紹介したいと思います。

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2008年3月 5日 (水)

美人コンテスト

今日3月5日は≪ミスコンの日≫なんだそうです。

実は、吉川英治は≪ミス日本≫コンテストの審査員を務めたことがあります。

昭和25年に行われた第1回と、昭和27年に行われた第2回の2度にわたって審査員を務めています。

第1回の最終審査会は昭和25年4月22日に目黒雅叙園で行われました。
この時のミス日本は山本富士子(ミス京都)で、準ミスは田村淑子(ミス東京)と三村恵子(ミス仙台)でした。
審査員には、吉川英治の他に高橋誠一郎・伊東深水・宮本三郎・久米正雄らがいました。

第2回の最終審査会は昭和27年7月24日に、やはり目黒雅叙園で行われました。
こちらはミス日本が日比野恵子(ミス東京)、準ミスは後藤富子(ミス愛知)・鍵山寿子(ミス高知)・原谷於沙子(ミス宮城)の3人でした。
審査員には高橋誠一郎・川端康成・猪熊弦一郎・伊東深水・森田たま・辰野隆らがいました。

ちなみに、2回通して審査員を努めたのは吉川英治の他に伊東深水と高橋誠一郎の2人だけです。

さらに、朝日新聞に連載していた「きのうきょう」という随筆の昭和32年10月22日分として「美人コンテスト」と題した文章を書いており、それによれば、この年の大東京祭の中で行われた≪ミス東京≫の審査員もやったようですが、これについてはまだきちんと調べたことがありません。

いずれにせよ、少なくとも3回はミスコンの審査員をやっているわけで

「ものずきだナ、君も」と、たびたび、人にわらわれた。

と、この「美人コンテスト」という一文に書いているのも、さもあろうという気がしてしまいます。

ちなみに、この文章の最後を、同席した映画監督の吉村公三郎が、ミス東京の審査に引き続いて行われたイベントで、古式の≪キヤリ≫を歌う町火消しの古老たちを見て、「じつにいい顔がある」と賛嘆の声をあげたというエピソードで締めています。

若くて目鼻立ちの整ったキレイな顔が、≪いい顔≫なのではないのだよ、というちょっとした皮肉でしょうか。

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2008年3月 2日 (日)

新収蔵資料

昨日、ある個人の方から、矢野橋村による「宮本武蔵」の連載挿絵原画を入手しました。

その方が、現在開催中の企画展「吉川作品の挿絵・装丁画の世界」の情報をご覧になり、こうした活動をしている場所に資料があった方が良いとお申し出下さり、お譲りいただいたものです。

ありがたい話です。

吉川英治の「宮本武蔵」は、新聞連載の際、地・水・火・風の巻は矢野橋村が、空・二天・円明の巻は石井鶴三が挿絵を担当しました。

やはり「宮本武蔵」は吉川英治の代表作ですから、これに関する資料は出来うる限り収集したいと思っているのですが、最近まで連載時の挿絵は1枚しか所蔵していませんでした。
ちなみにそれは矢野橋村が描いた横笛を吹くお通の姿です。

それが数年前、複数の古書店から石井鶴三のものを合計16点ほど購入しました。
そして今回、矢野橋村のものを42点も所蔵できることになりました。

「宮本武蔵」の連載は1013回におよんでいますから、これでも6%にやや欠ける状態ですが、以前に比べると、随分ましです。

事前に予告してある通り、会期を半分に分け、今日までが前半で、明後日からを後半として、展示を入替えるのですが、せっかくなので、今回入手した矢野橋村の挿絵を展示したいと思います。

入手した資料を即刻展示するなどというのは、いささか異例なことですが、ちょうどいいタイミングですし、何より嬉しいので、早く人に見せたいのです。

さすがに全部というわけにはいきませんので、展示するのは5~6点になりますが、ご興味のある方はぜひお運び下さい。

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2008年3月 1日 (土)

郷土にゆかりの文筆家

本日から当館の開館時間は昨日までの冬時間から通常時間に戻ります。
10時開館、16時30分受付終了、17時閉館、となります。
よろしくお願いいたします。

さて、同じ今日、新・青梅市中央図書館が開館します。

青梅市中央図書館は、これまでJR青梅駅に近い、かつての都立青梅図書館の建物を引き継いで運営されてきましたが、今回、JR河辺駅前に新しい建物が建設され、そちらに移転することになったのです。

それを記念して、館内の多目的室で、「郷土にゆかりの文筆家」という展覧会が開催されます(3月1日~27日)。

取り上げられるのは吉川英治・高垣眸・干刈あがた・田辺栄吉の4人。
当然、当館から資料を提供しています。

ちなみに、高垣眸は「怪傑黒頭巾」や「まぼろし城」で知られる作家。
吉川英治と同時期に活躍した人気作家です。
出身は青梅ではありませんが、東京府立青梅実科高等女学校(現・都立多摩高等学校)で教師を勤めながら作家デビューしています。
ちなみに長男の高垣昕二氏は、吉川英治文化賞受賞者でもあります。

干刈あがたは青梅出身の女性作家。
「ウホッホ探検隊」などの作品があります。
1992年9月6日に49歳の若さで亡くなったとの事ですが、吉川英治の命日と一日違いなんですね。

田辺栄吉氏は、前青梅市長。
ただ、この方は政治家というより文化人で、蘭学の研究において功績を残しておられ、杉田玄白賞を受賞なさっています。

駅のすぐ目の前ですから、一度足を運んでみて下さい。


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