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2008年3月 5日 (水)

美人コンテスト

今日3月5日は≪ミスコンの日≫なんだそうです。

実は、吉川英治は≪ミス日本≫コンテストの審査員を務めたことがあります。

昭和25年に行われた第1回と、昭和27年に行われた第2回の2度にわたって審査員を務めています。

第1回の最終審査会は昭和25年4月22日に目黒雅叙園で行われました。
この時のミス日本は山本富士子(ミス京都)で、準ミスは田村淑子(ミス東京)と三村恵子(ミス仙台)でした。
審査員には、吉川英治の他に高橋誠一郎・伊東深水・宮本三郎・久米正雄らがいました。

第2回の最終審査会は昭和27年7月24日に、やはり目黒雅叙園で行われました。
こちらはミス日本が日比野恵子(ミス東京)、準ミスは後藤富子(ミス愛知)・鍵山寿子(ミス高知)・原谷於沙子(ミス宮城)の3人でした。
審査員には高橋誠一郎・川端康成・猪熊弦一郎・伊東深水・森田たま・辰野隆らがいました。

ちなみに、2回通して審査員を努めたのは吉川英治の他に伊東深水と高橋誠一郎の2人だけです。

さらに、朝日新聞に連載していた「きのうきょう」という随筆の昭和32年10月22日分として「美人コンテスト」と題した文章を書いており、それによれば、この年の大東京祭の中で行われた≪ミス東京≫の審査員もやったようですが、これについてはまだきちんと調べたことがありません。

いずれにせよ、少なくとも3回はミスコンの審査員をやっているわけで

「ものずきだナ、君も」と、たびたび、人にわらわれた。

と、この「美人コンテスト」という一文に書いているのも、さもあろうという気がしてしまいます。

ちなみに、この文章の最後を、同席した映画監督の吉村公三郎が、ミス東京の審査に引き続いて行われたイベントで、古式の≪キヤリ≫を歌う町火消しの古老たちを見て、「じつにいい顔がある」と賛嘆の声をあげたというエピソードで締めています。

若くて目鼻立ちの整ったキレイな顔が、≪いい顔≫なのではないのだよ、というちょっとした皮肉でしょうか。

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