« 東映キネマ旬報 | トップページ | 浅田次郎さんと語るひととき »

2008年5月11日 (日)

母と妻

昨年、一昨年と母の日には、吉川英治が母親について書いた文章をご紹介していますが、今年もそんな一文を。

いつか母を欣ばしてやろう――と心の底で思っていることは、男の事業を後ろから絶えず押してくれる大きな張合いでもある。母を失うのは、男がその大きな張合いを失うことにもなる。

母親というものについて書いた随筆「よその母わが母」の中の一節です。

吉川英治自身は、作家としてデビューし、人気作家として成功をおさめたのは、母親を亡くしてから数年後のことです。
この姿を母に見せたかった、という思い、ようやく経済的にもひとかどの者になったというのに、それを喜んでくれる母がいない、という喪失感は強かったでしょう。

そんな気持ちがうかがえます。

ちなみに、この後に続くのは、こんな文章です。

男の生活本能の中には、「欣んでくれる者」をいつも求めている。女房というものは、母のごとく欣んでくれないものだ。母を失った良人に対して、その妻がもっとも意を用いて欲しいことは良人の生活本能の表現に対して、母のごとく欣んでやることではないかと思う。理知を超えて他愛なく感謝する――母のごとく欣ぶということは――妻には難しいことにちがいないが、実に男性はそのことのみに依って、いかなる社会的な苦闘も忘れうるものである。

私は独身なので全く実感がありませんが、同意する既婚男性は多いのではないでしょうか。

もっとも、既婚女性からは、女性だって「欣んでくれる者」を求めているのに、夫はそれを満たしてくれない、と反論されるでしょうが。

|

« 東映キネマ旬報 | トップページ | 浅田次郎さんと語るひととき »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 東映キネマ旬報 | トップページ | 浅田次郎さんと語るひととき »