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2008年6月27日 (金)

読書随所浄土

菊池寛顕彰会の会報が送られてきたので、パラパラと眺めていると、「菊池寛文学碑の建立」という記事がありました。
菊池寛の生誕120年を記念して、今年の2月23日に、菊池寛の母校である高松市立四番丁小学校の校庭に、文学碑が建立されたという記事でした。

文学碑には、菊池寛自筆の色紙をもとに

閉門即是深山 読書随所浄土

と刻まれているそうです。

会報と共に、菊池寛の随筆『読書浄土』のコピーが同封されていました。

読書の楽しみについて書いた文章ですが、「(読書の楽しみを知らないのは)人間に生まれてゐながら、心は豚に近いと云はれても仕方がないだらう」だとか、「現代に生れ、しかも印刷文化に於て、世界第一の日本に生れ、そして本を読まなかつたら、来世はその罰で、きつと土龍(もぐら)か何かに生れるであらう」などと、モノズゴイことを書いています。

その冒頭に

私は、この頃人に色紙を頼まれると、「閉門即是深山。読書随処浄土」と云ふ言葉を書くことがある。これは「菜根譚」の中から見つけた言葉で(書を読めば随処も浄土)と言ふ文句が気に入つたのである。

と書いています。

この言葉、菊池寛に感化されて、吉川英治も好んだ言葉で、後半の「読書随所浄土」の部分を揮毫したものが、複数残っています。

ところで、菊池寛は(実は吉川英治も)、この言葉の出典を「菜根譚」としていますが、私の前任学芸員が調べたところ、「菜根譚」には、この言葉は記載されていませんでした。
念のため私も、別版の「菜根譚」を確認してみましたが、確かにありませんでした。

実は、この言葉は「酔古堂剣掃」という、別の中国の名言集に掲載されているものなのだそうです。

菊池寛もそそっかしいですね。
それを鵜呑みにしたのであろう吉川英治も、ちょっと迂闊でした。

親友なので信じたのでしょうが。

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2008年6月22日 (日)

第11回写真コンテスト入賞者発表

6月19日に第11回吉川英治記念館写真コンテストの選考会を行い、厳正な審査の結果、下記の作品が入賞と決まりました。
入賞者の皆さん、おめでとうございます。

通知は追って応募者の皆様のお手許に届くはずですが、まずは一足先にこちらで発表いたします。

☆金賞(1点)
「円形分水(2枚組)」 水落幸雄(大牟田市)

☆銀賞(3点)
「お嫁に行くまでの時間」 浅岡由次(知立市)
「希望」 佐藤勝人(東京都府中市)
「うたかたの記」 八木英雄(仙台市)

☆銅賞(3点)
「勇壮な馬追い」 荒木恭子(大牟田市)
「無題」 鈴木充子(鎌倉市)
「一粒種」 竹尾康男(宮崎市)

☆入選(24点)
「センチメンタル」 淺野照子(茅ヶ崎市)
「手を取り合って」 天野秀人(京都市)
「水上のくらし」 伊佐勝男(さいたま市)
「水上のおひるね」 市川 晃(八王子市)
「吉日」 岡本 聖(八幡市)
「春爛漫」 小野弘夢(名古屋市)
「心」 川口善也(多治見市)
「一滴の世界」 木下 滋(かつらぎ町)
「節分祭の裸男達」 木村悦雄(関市)
「銀幕」 佐藤文彦(小野市)
「雛飾る」 竹村悦子(高知市)
「雨あがり」 舘 弘美(盛岡市)
「群泳」 早川英夫(春日部市)
「ママ重いよ!」 林 信夫(昭島市)
「早春」 板東利明(柏原市)
「春爛漫(3枚組)」 引間俊雄(八王子市)
「勝負」 平野昌子(横浜市)
「旅先」 藤森保男(岡山市)
「潮風の出会い」 松崎盛樹(静岡市)
「ポンプ遊び」 松本雪夫(横浜市)
「門出の祝い」 山下利夫(あきる野市)
「デートスポット」 山中健次(かつらぎ町)
「夏の思い出」 和田伊豆男(品川区)
「青春!」 渡辺公司(京都市)

写真のデータがそろいましたら、上位の入賞作品を館のサイト上に公開いたします。
しばらくお待ち下さい。

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2008年6月11日 (水)

ベストセラー

企画展「海を越えた吉川文学」のために手元の資料を確認していたら、“B.DALTON BOOKSELLER Bestseller Reports”というもののコピーが出てきました。
海外版の「宮本武蔵」が出版された時の新聞の書評などを集めた中に含まれていました。

データは1981年9月4日付になっていますから、英語版の「MUSASHI」が出版された時のものです。

B.DALTON BOOKSELLER はアメリカの書店グループのようです。
リストの下部に535店舗の集計である旨が書かれていますが、グループの店舗の集計ということなのでしょう。
大グループですね。

せっかくなので、以下にそのランキング(Fiction Bestseller List)を掲載してみます。

1 CUJO (King)
2 HOTEL NEW HAMPSHIRE (Irving)
3 NOBLE HOUSE (Clavell)
4 THIRD DEADLY SIN (Sanders)
5 GOODBYE JANETTE (Robbins)
6 GORKY PARK (Smith)
7 THE GLITTER DOME (Wambaugh)
8 GOD EMPEROR OF DUNE (Herbert)
9 NIGHT PROBE (Cussler)
10 LAST DAYS OF AMERICA (Erdman)
11 THE CARDINAL SINS (Greeley)
12 BREAD UPON THE WATERS (Shaw)
13 CHANCES (Collins)
14 CLOWNS OF GOD (West)
15 WOMAN'S WORK (Wallach)
16 LICENSE RENEWED (Gardner)
17 COVENANT (Michener)
18 LUCIANOS LUCK (Higgins)
19 MASQUERADE (Williams)
20 MUSASHI (Yoshikawa)
21 LEGACY (Fast)
22 MAZE AND MONSTERS (Jaffe)
23 CHILDRENS STORY (Clavell)
24 FREE FALL IN CRIMSON (Macdonald)
25 TRADITIONS (Ebert)
26 TRADE WIND (Kaye)
27 TAR BABY (Morrison)
28 WHITE HOTEL (Thomas)

「MUSASHI」は20位です。
このリストに含まれる本の中で2番目に高い本($17.95)であることを考えると、大健闘でしょう。
(ちなみに一番高いのは「NOBLE HOUSE」の$19.95で、この28冊の平均は$13.90)

それにしても、これだけ見て、「あれか」とピンと来る本が、スティーブン・キングの「クージョ」と、ジョン・アーヴィングの「ホテル・ニュー・ハンプシャー」の2冊で、あとは8位がフランク・ハーバートの「デューン」シリーズのどれかだなとわかるくらい。
クライヴ・カッスラーとジョン・ガードナーはかろうじてフルネームが出てきますが、あとはサッパリ。

うーん、情け無い(苦笑)

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2008年6月 5日 (木)

小次郎、你輸了。

開催中の企画展「海を越えた吉川文学」ですが、同じ場面の各国語訳の文章を抜き出して、並べてみました。

場面は巌流島の決闘の一部分、言語は英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・中国語の五ヶ国語です。

見比べてみると、些細なことが結構面白く感じます。

と言っても、私がある程度理解できるのは英語と中国語だけですが。

「――武蔵っ」
「…………」
「武蔵っ!」
 二度いった。
 沖鳴りが響いてくる。二人の足もとにも潮が騒いでいた。巌流は、答えない相手に対して、勢い声を張らないでいられなかった。

これが英語では

“Musashi!”
No answer.
“Musashi!”
The sea rumbled ominously in the distance ; the tide lapped and murmured at the two men’s feet.

になります。

「……」を英語ではわざわざ「No answer」と具体的に書いています。

日本人ならば、「……」で無言を表していることがわかりますが、英語ではそういう表現はしないのでしょうか?

「一乗寺下り松の時といい、三十三間堂の折といい、常に、故意に約束の刻をたがえて、敵の虚を突くことは、そもそも、汝のよく用いる兵法の手癖だ。――しかし、きょうはその手に乗る巌流でもない。末代もの嗤いのたねとならぬよう潔く終わるものと心支度して来い。――いざ来いっ、武蔵!」

という小次郎の台詞ですが、

“You did this at Ichijōji, and before that at the Rengeōin. Your method seems to be to throw your opponent off by deliberately making him wait. That trick will get you nowhere with Ganryū. Now prepare your spirit and come forward bravely, so future generations won’t laugh at you. Come ahead and fight, Musashi!”

なぜ「三十三間堂」をわざわざ「Rengeōin」に言い換えたのでしょう?
確かに、蓮華王院が正式名称なのですが、Sanjūsangendōでは都合の悪いことでもあるのでしょうか?

ちなみに、同じ台詞が中国語(簡体字を日本の漢字に直しています)では

“你在一乗寺下松以及三十三間堂時、都故意遅到、対敵人趁隙攻撃、這可能是你慣用的手法。可是、我岩流可不吃你這一套。你最好有心理準備、光栄地死去、免得遺臭万年。来吧!武蔵。”

「末代もの嗤いのたねとならぬよう」が「免得遺臭万年」なんでしょうが、「遺臭」ですか(苦笑)

小次郎の“物干竿”が“晒衣竿”だったり、「うぬ。たわ言を」というのが“哼!胡説八道。”だったりするところが、色々と興味深いのですが、

「小次郎っ。負けたり!」

の名台詞が、

“小次郎、你輸了。”

なのは、へぇ?と思いました。
「輸」に「負ける」って意味があったんですね。

せっかくなので、この台詞を他の言語でも。

“You’ve lost, Kojirō.”(英語)
―Tu as perdu, Kojirō.(フランス語)
》Ihr habt verloren, Kojirō.《(ドイツ語)
―Has perdido, Kojirō.(スペイン語)

覚えておくと何かの役に……立たないでしょうね(笑)

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2008年6月 4日 (水)

多摩(1)

さらに名を出したついでに、続編の「野槌の百」もご紹介。

ちなみに、東京都内を舞台にした作品は数が多いので、江戸府中とそれ以外に分けて、とりあえずそれ以外の地域は≪多摩≫という括りにしておきます。

復讐のため村上賛之丞から、お稲を奪った安成三五兵衛であったが、お稲に子が出来たため、足手まといになってきた。
そこで、とりあえずお稲と赤子を知人に預けようと、二人を連れ江戸へ向かう三五兵衛。
ほとぼりがさめるまでと身を隠していた信州から、甲州裏街道を青梅に抜けて、八王子あたりまで来たところで、田無の野鍛治で百という男と出会う。
百から近くに賭場が出ていることを聞き出した三五兵衛は、その賭場でいかさまを働き、それが露見して逃走する。
置き去りにされたお稲を、いかさまにあった博労たちが人質に取り、三五兵衛をおびき出すために、入札にかけて売り飛ばそうとする。
入札の当日、意外にもお稲を競り落としたのは、お稲に惚れた百であった。
百の家は、代々の刀鍛治で、自身も山浦清麿の弟子として将来を嘱望されていたのだが、師匠の金を盗んだという濡れ衣を着せられ、破門になったため、野鍛治に落ちぶれていた。
その先祖伝来の屋敷や土地を担保に金を借り、お稲を落札したのであった。
落札したお稲を家に連れ帰った百だが、借金の問題や、お稲の歓心を買うためにも、どうしても金が欲しい。
とうとう、かつての師匠・清麿の贋物作りに手を出してしまう。
江戸へ出て、その贋物を売り歩く百だが、それが露見して、かつての兄弟子たちに捕らえられてしまう。
そんな百を、なぜか清麿の娘・お袖が逃がす。
お袖の口から、清麿も今ではかつてのことは濡れ衣だとわかっていること、その濡れ衣を着せたのは柳橋の小稲という妓だったことを聞いた百は、その小稲こそお稲のことであると気がつく。
江戸から戻った百は、百の居ぬ間に賛之丞と密会していたお稲を、賛之丞もろとも殺害すると、老母と、あとに残ったお稲の子を連れて、どこへともなく旅立つのであった。

初出は『週刊朝日』昭和7年夏期特別号(6月1日発行)。
「八寒道中」から3年後に、掲載誌を変えて書かれた続編となります。

吉川英治は同じ登場人物(実在の人物は別として架空の創作した人物)を複数の作品に登場させるということをほとんどしていません。
その数少ない事例が、この2作品です。

これも「吉川英治歴史時代文庫75 治郎吉格子 名作短編集(一)」(講談社 刊行中)に収録されています。

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2008年6月 3日 (火)

山梨(1)

昨日、名前を出したので、久しぶりに作品紹介を。

「八寒道中」

“八寒嘯”の銘を持つ笛を携えて旅を続ける一人の男――紀州藩士の安成三五兵衛は、その美貌で妹をたぶらかし、父を切腹に追いやった仇・村上賛之丞を追って、もう4、5年も旅を続けていた。
もっとも、腕の立つ三五兵衛には、実のところ賛之丞を討つ事など造作もないことであったが、執念深く冷酷な彼は、あえて仇を討たず賛之丞を追い回し、怯えさせ、苦しめることに復讐の快感を覚えていたのである。
甲府に足を運んだ三五兵衛は、何気なく訪ねた笛師・春日平六から賛之丞の消息を知らされる。
それによれば、大月の先、小篠の侠客・鮎川の仁介のもとに賛之丞が身を寄せているという。
平六に促され小篠に向かった三五兵衛は、途中で道連れとなった女・お稲が賛之丞といい仲になっていることを知り、軽い嫉妬を覚える。
その夜、仁介の屋敷にわらじを脱いだ三五兵衛を、賛之丞は仁介の手下の助けを借りて返り討ちにしようとする。
しかし、それを見破った三五兵衛は、逆にお稲をさらって、屋敷を出て行く。
目の前で自分の情婦が連れ去られるのを、賛之丞はなす術もなく見送るのであった。

初出は『講談倶楽部』昭和4年1月号。
読みきりの短編なのですが、なぜか3年後に続編となる「野槌の百」という作品を書いています。

刊行中の「吉川英治歴史時代文庫75 治郎吉格子 名作短編集(一)」(講談社)に収録されています。

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2008年6月 1日 (日)

幻の翻訳

企画展「海を越えた吉川文学」に絡んで、吉川英治の作品の翻訳についての話題をいくつかご紹介、と思ったのですが、すでにこんな話や、こんな話や、こんな話や、こんな話をご紹介しているので、それ以外の話を。

吉川英治に「八寒道中」という作品があります。

この作品について、戦前、当時の友邦ドイツで翻訳され、一部で高く評価された……という話が伝えられています。
これが事実なら、吉川作品では初の翻訳ということになります。

この「八寒道中」は短編であるため、それのみで単行本になったとはちょっと考えにくいものがあります。
ということは、ドイツで発行されている文芸雑誌に掲載されたか、日本文学のアンソロジーの中の一編として収録されたのではないでしょうか。

と、推測しているのですが、きちんと調査していないため、残念ながらその現物が確認されておらず、その実態は分かりません。

実は、この「八寒道中」は、翻訳されたかどうか、ということよりも、もっと重大な問題を抱えている作品なのですが、それについても、まだきちんと調べていないので、ここでは伏せておきます。

気になるという方は、「シリーズ民間日本学者22 井上剣花坊・鶴彬 川柳革新の旗手たち」(坂本幸四郎 リブロポート 1990)という本を読んでみて下さい。

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