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2008年7月31日 (木)

カンタン

青梅市商工観光課から「第53回 カンタンをきく会」の案内パンフレットが送られてきました。

市内の御岳山で、≪鳴虫の女王≫とも呼ばれるカンタンの鳴声を楽しみ、宿坊に一泊するという企画です。

詳しくはこちらをご覧いただくとして、注目は日付です。

9月6日(土)~7日(日)の1泊2日。
解散は7日の午前10時。

9月7日といえば、吉川英治の命日で、当館では毎年≪英治忌≫という催しを行っています。

タイミングがピッタリ(笑)

6日は御岳山の上に1泊してカンタンを楽しみ、帰路は当館に立ち寄る、なんていうのは、いかがですか?

当日は、お茶会や冷茶・日本酒なども振舞っております。

お待ちしておりますので、ぜひどうぞ。

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2008年7月30日 (水)

電子文庫

吉川英治の作品は講談社によって一部電子化されているのですが、この度、e-Book Japan から電子化された作品の全てが販売されることになりました。

立ち読みも出来るようですから、ご興味のある方はぜひアクセスしてみて下さい。

もちろん、ご購入いただけると、とても嬉しいのですが。

ニュースリリースはこちら

特集はこちら

ご参照下さい。

追記
冒頭に、「吉川英治の作品は講談社によって一部電子化されている」と書いたところ、電子化の担当者から「『一部』はちょっと引っかかるなぁ」と、抗議されてしまいました(笑)

講談社による吉川作品の電子化は、現在も刊行中の「吉川英治歴史時代文庫」全巻分(それに+αあり)になるので、「一部」はあんまりだ、ということなのですが、実のところ、それでも吉川英治の全作品のおよそ半分といったところなのです。

ちなみに、歴史時代文庫は全部で85巻ですが、かつて刊行されていて、収録作品数がどの全集よりも多かった「吉川英治文庫」は全161巻でした。
それでも完全に全作品が収録されているわけではないのです。

ちなみに、吉川英治の総作品数は、わかっている範囲ではここに書いた通りです。


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2008年7月29日 (火)

勘違い

先日触れた「大衆の心に生きた昭和の画家たち」ですが、雑誌『さしゑ』の編集者であった著者が、その頃の経験を交え、昭和30年代までの日本の挿絵文化について書いているものです。
当然吉川英治の名も登場します。
第16章「『大菩薩峠』『宮本武蔵』と石井鶴三」、第21章「小説さし絵の第一人者」では、特に大きく取り上げられています。

大きくと言っても、新書で20章以上あるわけですから、概説程度ですが。

ところで、第21章「小説さし絵の第一人者」では、杉本健吉と吉川英治のことが取り上げられているのですが、そこで、ちょっと間違いがあります。

「新・平家物語」の挿絵について

さし絵は初めの一カ月ほどをのぞき、杉本健吉。

と書かれています。

以前にもご紹介したことがありますが、「新・平家物語」は第35回までは守屋多々志が挿絵を描き、第36回から杉本健吉が担当しています。

たぶん著者は、掲載誌が『週刊朝日』であったことをうっかり忘れたのでしょう。
『朝日新聞』への連載なら、35回まで別人と言うことは1ヶ月余りだな、ということになりますから。

でも、週刊誌ですから35週ということになります。
8ヶ月余りですね。

些細なことですが、念のため指摘しておきたいと思います。

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2008年7月27日 (日)

読み間違い

先日、新幹線に乗って移動することがあったので、駅構内の書店で乗車中の暇つぶしになる本を探していたところ、「大衆の心に生きた昭和の画家たち」(中村嘉人 PHP新書 2007年3月)という本を見つけました。

購入して読み始めたところ、本文の最初のページでいきなり、『河野通勢』に『こうのつうせい』とルビがふってあったので、「ありゃまー」と笑ってしまいました。

私も、初めてこの名前を見た時に、『こうのつうせい』だと思い込んでしまったのですが、あとになって『みちせい』が正しいのだと知って、「よかったー、人前で口に出さなくて」と思ったものです。

実は、口に出してしまったものもあります。

吉川英治と親交のあった『安岡正篤』という人物がいます。
最初は、この字面だけを知り、後にある人との会話の中で、会話相手が『やすおかせいとく』と言ったので、なるほど読みは『せいとく』なのか、と思ってしまいました。

実際には『まさひろ』なんですよね。
『せいとく』と言うのは、時々『伊藤博文』を『いとうはくぶん』と言う人がいるようなもので、正式な読み方じゃありません。

しかし、一旦『せいとく』で憶えてしまったので、どうしても『まさひろ』が頭に浮かんでこない時があります。

昨年の11月に依頼を受けて吉川英治について話をした時、質疑の中で安岡のことが出てきたのですが、『まさひろ』が出てこなくて、うっかり『まさのり』と言ってしまいました。

ああ、恥ずかしい。

他にも、まだ自分では気づいていないけど、間違って憶えてしまっている≪地雷≫が、きっとあるでしょうね。

踏む前に気がつけばいいんですが(苦笑)

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2008年7月26日 (土)

なぞなぞ その2

では、これはなんでしょう?

この地面に開いたたくさんの穴の正体は?

Img_1136

↓この穴を開けたのはコイツです。

Img_1145

セミの幼虫です。
ま、この写真はすでに抜け殻ですが。

セミの幼虫が地上に出てくる時の穴って、意外に大きくて、しかもなぜか頑丈なのです。
土砂降りの夕立でもこない限り、ずーっと穴が開いたまま残っています。

この穴の数ですから、結構セミが鳴いています。
庭園内を歩いていると、オシッコひっかけられたりします。

鳥の糞と違って、全然苦になりませんけどね。

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2008年7月25日 (金)

なぞなぞ

さて、これはなんでしょう?

Img_1158


この毒々しい赤いもの。
この不気味なものの正体は……

これです。

Img_7094

ヤマシャクヤクの実というか種です。

こんな清楚な花の実が、こんなにグロテスクだとは。

驚きますね。

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2008年7月19日 (土)

タマケン

こんな記事がありました。

昨今の検定ブームにのってのことでしょうが、地域に関心を持つことは悪いことじゃありません。
地元を知り、地元を愛することが、人間の活動の原点でしょう。

ということで、当館もこれには協力する予定です。

記事の中に「美術館や博物館、アミューズメントパークの入館・入園料が優遇される特典も」とありますが、当館もこの中に含まれる予定です。

検定をきっかけにして、多摩地域に関心を持っていただければ、何よりです。

関心のある方はぜひどうぞ。

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2008年7月17日 (木)

市川雷蔵

今日は市川雷蔵の命日(昭和44年)です。

大学生だった昭和60年代前半に、よく名画座で市川雷蔵の映画を観たものです。
20本ほど観たでしょうか。
と言っても、市川雷蔵は短い生涯に153本の映画に出演しているので、2割にも満たない本数ですが。

市川雷蔵は、吉川英治文学賞受賞者でもある柴田錬三郎原作の「眠狂四郎」シリーズが有名で、日本映画史上最高の時代劇スターと言えますが、個人的には現代物である「ある殺し屋」シリーズや「陸軍中野学校」シリーズが好きで、先年発売されたDVDも購入しました。
良い映画ですよ。

その市川雷蔵の出世作は、平清盛を演じた「新・平家物語」で、もちろん吉川英治原作。
その他に、吉川英治原作としては「鳴門秘帖」にも出演しています。

ただ、市川雷蔵が演じた戌亥竜太郎というのは、原作には存在しない登場人物で、主人公の法月弦之丞を演じた長谷川一夫と新旧二大スターを登場させることだけが目的と言ってもいいような配役です。
当時の常識としては若き善玉スターをお十夜孫兵衛や旅川周馬にするわけにはいかないでしょうから。

もっとも、後に当たり役となる眠狂四郎は、大衆文学史的には、机龍之介からの虚無的ヒーローの系譜にあるものとされ、お十夜孫兵衛はその系譜上での眠狂四郎の先輩にあたります。
その意味で、市川雷蔵がお十夜孫兵衛を演じたら面白かったのに、と思うのですが。

ちなみに、吉川文子夫人が存命で、当館の館長だった頃に、「私は市川雷蔵が好きなんですが、この映画『鳴門秘帖』については吉川先生は何かおっしゃってましたか?」とお尋ねしたことがあるのですが、「試写を観て、『あれはダメだ』と言っていました」とのことでした。

吉川英治は、作品が映画や芝居になるのは娘を嫁にやるようなものだからと、改変されたりしても表立って不満を述べることはあまりなかったようですが、原作を大幅にいじられていたので、さすがに気に入らなかったのでしょう。

興味深いお話でした。

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2008年7月11日 (金)

真珠の日

今日は「真珠記念日」なんだそうです。

かの御木本幸吉が真珠の養殖に初めて成功した日なのだとか。

その御木本幸吉に、吉川英治は一度会っています。

昭和25年12月11日。
「新・平家物語」の取材旅行の途上、御木本真珠島に立ち寄った英治は、そこで御木本幸吉と面会しています。

その時のことは「随筆 新平家」(吉川英治歴史時代文庫で刊行中)に収録された『新・平家今昔紀行 伊勢から熊野路の巻』に書かれていますが、当時92歳だった御木本幸吉の印象は、なかなか強烈だったようです。

真珠島の中の御木本邸に案内されると、その縁先に「古色蒼然たる例の山高帽に、黒マント、顔半分、襟巻きに埋めて、松葉杖をつきながら、西洋アヤツリ人形みたい」な状態で御木本幸吉が現れます。

一同は、庭先に並べられた補助椅子に一だん低く腰かける装置となっていて、主客あべこべだから、この御木本島では、おじいさんはたしかに国王様である。

「お通さんを書いたような男は、どんなかと思ったら、案外、まずい男だな」と言われた英治が、「おじいさんも、そのノリ刷毛みたいな眉毛を取ると、余りいい男じゃありませんな」と返すと、それが気に入ったのか、大笑いして、「御木本幸吉伝」のサイン本をくれたそうです。

翁の事業的功績は大きいが、翁の人生は翁自身の語るものを、すべて素直に伺っても、まことに他愛がないものだ。真珠はあんなに産みもし磨かせもしているのに、翁自身の人間は、いまだに帆立貝のままである。この親帆立貝は割らない方がいいように思われた。教養的な真珠層は巻いていそうもない。

というのが吉川英治の御木本幸吉評です。

ちなみに、この時の旅行日記によると、「九十八まで我れ頑張らん 君は八十八までやれ」などという言葉をかけられたそうですが、御木本幸吉は、昭和29年に、予定より2歳若い96歳で世を去っています。

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2008年7月 5日 (土)

夕焼け

私は雲を眺めるのが好きですが、夕べの雲はすごかったですね。

積乱雲のモクモクとしたコブが、夕日で赤く染まり、その一方で、雲の中では夕立を予感させるように、稲光が絶え間なく輝く。

心の奥底で何かがザワザワするような、そんな雲でした。

思わず見とれているうちに、吉川英治のこんな川柳を思い出しました。

気が違ふほど夕焼けぬ夕焼けぬ

≪雉子郎≫を名乗って、川柳の世界で活躍していた10代後半から20代の頃の吉川英治には、こういった、幻想的というか、心象的というか、そういったちょっと一般的な川柳の滑稽味や人情味とは違うタイプの川柳作品があります。

この夕焼けの句は、私の特に好きなものですが、他にも色々ありますので、少しご紹介してみます。

うなさるる昼の枕に蜘蛛が這ふ

滅亡の地球に残る蝶一つ

龍宮に夕映えのする鯨の血

美しき海月の中の水死人

春の日に向ひ手品師針を吹き

蟻の世界ガリバーのやうに見て居たり

炎々の空にサタンの舞ふを見よ

雲の峰崩れて富士を呑まんとす

森に寝る二ツの夢を蜘蛛が巻く

いかがでしょう。
若気の至りという感じもしなくはないですが、明治末から大正初めに詠まれたものと思うと、それまでの川柳の枠にはまらないセンスを感じさせます。
井上剣花坊が、雉子郎に対して川柳の次代を担う者として期待した理由の一端が理解できます。

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2008年7月 2日 (水)

落書きその他

今、イタリアの聖堂での落書き問題に端を発して、各地の名所での落書きが話題になっています。

実は、当館でも、何度か落書きの被害にあったことがあります。
勘弁してほしいものです。

大体、落書きがある状態を醜いとか汚いとか感じないんでしょうか?
すでに落書きがあるから、自分も落書きをしてもかまわないだろうという考え方が出来ることが信じられないのですが。

当館では、以前は芳名帳を置いていたのですが(今は個人情報のこともあるのでやめました)、そこに名を書くのではなく、わざわざ建物に落書きをしていったところをみると、落書きをする人というのは、落書きがしたいのであって、名前を書き残したいわけじゃないんでしょうね。

幼稚園児みたいなものですね。

ちなみに、非常にムカついた落書きは、キャプションに対する落書き。
赤ペンで勝手に文字を訂正していった人がいるんです。

間違っていると思うのなら、口で言って下さいよ。

ついでに言うと、その訂正、間違ってますから。
どうせなら正しく直してください(苦笑)

ちょっとニュアンスは違いますが、10年ほど前、館内各所に、こっそりと≪御札≫を仕込んでいった人がいました。

ショーケースの裏にテープで貼り付けたり、石積みの隙間に押し込んだり、なんだかんだで20枚ばかり見つかりました。

こういうことも、気持ち悪いのでやめて下さい。

お願いします。

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