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2008年7月11日 (金)

真珠の日

今日は「真珠記念日」なんだそうです。

かの御木本幸吉が真珠の養殖に初めて成功した日なのだとか。

その御木本幸吉に、吉川英治は一度会っています。

昭和25年12月11日。
「新・平家物語」の取材旅行の途上、御木本真珠島に立ち寄った英治は、そこで御木本幸吉と面会しています。

その時のことは「随筆 新平家」(吉川英治歴史時代文庫で刊行中)に収録された『新・平家今昔紀行 伊勢から熊野路の巻』に書かれていますが、当時92歳だった御木本幸吉の印象は、なかなか強烈だったようです。

真珠島の中の御木本邸に案内されると、その縁先に「古色蒼然たる例の山高帽に、黒マント、顔半分、襟巻きに埋めて、松葉杖をつきながら、西洋アヤツリ人形みたい」な状態で御木本幸吉が現れます。

一同は、庭先に並べられた補助椅子に一だん低く腰かける装置となっていて、主客あべこべだから、この御木本島では、おじいさんはたしかに国王様である。

「お通さんを書いたような男は、どんなかと思ったら、案外、まずい男だな」と言われた英治が、「おじいさんも、そのノリ刷毛みたいな眉毛を取ると、余りいい男じゃありませんな」と返すと、それが気に入ったのか、大笑いして、「御木本幸吉伝」のサイン本をくれたそうです。

翁の事業的功績は大きいが、翁の人生は翁自身の語るものを、すべて素直に伺っても、まことに他愛がないものだ。真珠はあんなに産みもし磨かせもしているのに、翁自身の人間は、いまだに帆立貝のままである。この親帆立貝は割らない方がいいように思われた。教養的な真珠層は巻いていそうもない。

というのが吉川英治の御木本幸吉評です。

ちなみに、この時の旅行日記によると、「九十八まで我れ頑張らん 君は八十八までやれ」などという言葉をかけられたそうですが、御木本幸吉は、昭和29年に、予定より2歳若い96歳で世を去っています。

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