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2008年8月31日 (日)

≪語るひととき≫締め切り

本年度吉川英治文学賞受賞者の浅田次郎さんと語るひとときは、本日が応募の締切日です。

本日中はまだ受け付けておりますので、リンク先の要項に従ってご応募下さい。
なお、メールアドレスは本日夜10時に閉鎖いたしますので、ご承知おきください。

ちなみに、すでに定員の5倍以上の応募をいただいておりますので、抽選となります。
ご了承下さい。

抽選に当たった方には、9月中に葉書をお送りいたします。
申し訳ございませんが、当選者への葉書送付をもって発表に代えさせていただきます。
早く結果を知りたいというご要望はあるかと思いますが、しばらくお待ち下さい。

お送りした葉書は、当日、入場券としてご持参いただくことになりますので、大事に保管して下さいね。

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2008年8月30日 (土)

釈清鶯帰園童女

これは、吉川英治が亡くなった養女・園子のために自らつけた戒名です。

園子の亡くなった状況については、以前少し触れました

今回の企画展「吉川英治の家族愛」では、その戒名を揮毫した短冊を軸装したものを展示しています。

そこには、戒名に続けて「父英治」の文字があります。

軸には、もう一枚短冊が貼り込まれており、そちらには園子を詠んだ句が書かれています。
その句は

鶯も戦ふ春を高音かな

戒名にもその字が使われているように、≪鶯≫は、まだ10代の少女だった園子のことでしょう。

天皇の料理番で知られる秋山徳蔵によると、園子の消息を訪ね歩いた最後に、秋山の自宅を訪ねた英治は、「親らしいことは何もしてやれなかった」と泣き崩れたそうです。

また、英治の長男・英明(現当館館長)によると、英治の没後、多摩墓地にその遺骨が納骨される際、文子夫人が園子の遺品のマフラーを一緒に埋葬したのだそうです。

よく、親類の子供を養子にする例がありますが、英治と園子の場合はそのパターンではなく、2人に血のつながりはありません。
それでも、そこには紛れもない親子の情愛が存在していたことを感じるエピソードです。

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2008年8月29日 (金)

桃と若葉

吉川英治には5人の子供がいました。

吉川英治は2度結婚しているのですが、最初の結婚の際、実子に恵まれなかったため園子という養女を迎えています。
そして、二度目の結婚の際、英明・英穂・曙美・香屋子の2男2女の実子をもうけています。

今回の企画展「吉川英治の家族愛」では、それぞれの子供たちに関する資料を展示しており、いままであまり展示してこなかった園子に関する資料も展示しています。

その一つである掛け軸には、英治自筆の桃の絵が描かれ、次のような句が書かれています。

桃咲くや園子も七つ樹も七つ

句に添えて「春なりし二月の頃 母叔父叔母たち共々に 湯あみに来ける夜の徒然に せがまれて」とあり、また、「昭和癸亥(酉) 熱海富士舎 英治戯筆」とありますので、園子らと熱海に旅した際の句とわかります。

ちなみに、昭和2年生れの園子が数え年(英治は日常では数え年を用いていた)で「七つ」なら昭和8年で、干支は「癸酉」のはずですが、「癸亥(酉)」とあるのは、間違えて、後で直したものでしょう。

それはともかく、句は、ほとんど技巧も何も感じられないもので、そのことがかえって英治の親馬鹿ぶりを浮き上らせているように思えます。

その技巧の無さゆえに親馬鹿ぶりを感じるという点では、この句を思い出します。

若葉照り今朝は香屋子の誕生日

いかがでしょう?

ニコニコしながらこんな句をひねり出している姿を想像すると、もう親馬鹿以外の何者でもありません。

養子とは言え初めての子である園子と、58歳で授かり孫同然に可愛がった香屋子に対する句の雰囲気に似通ったところがあるというのは、興味深いところです。

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2008年8月28日 (木)

画家の名前

昨日触れたように、開催中の企画展「吉川英治の家族愛」について読売新聞にご取材いただき、それが一昨日多摩版に掲載されました。

それにつき、少しだけ補足を。

読売新聞では、展示している資料の写真が掲載されています。

これは掛け軸になっているもので、中央に兜の絵があり、右上に川合玉堂による賛、左上に吉川英治のよる賛が書かれています。
吉川英治の賛から、昭和20年の端午の節句に書かれたものとわかります。

これを今回展示しているのは、吉川英治の賛が、自分の二人の息子が詠んだ短歌を揮毫したものだからです。

ちなみに短歌は

幸さんが山から桜取って来て
花いけにさし机にぞおく  英明詠
梅の花はるかににほふあかつきに
両手をあわせ拝むなりけり 英穂詠

となっています。

この時、長男の英明は満年齢なら6歳、次男の英穂は5歳です。
そう考えると、少々生意気な感じもしますね(笑)

ところで、兜の絵を描いた人物を記事では≪挿絵画家≫としか書いてありませんが、これは玉村吉典のこと。

吉川英治の作品では「太閤記」(読売新聞連載)の連載挿絵の一部を描いています。
「太閤記」は以前触れたように挿絵を描いた画家が8人もいる作品ですが、昭和20年5月なら玉村吉典がちょうど挿絵を担当していたか、最後に担当した森村宣永に交代した直後くらいでしょうか。
恥ずかしながら、当館所蔵の掲載紙は切り抜きのため日付が欠けており、どこかに調べに行かないことにはすぐには確認できません。


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2008年8月27日 (水)

記者

一昨日・昨日と二日続けて、「吉川英治の家族愛」展についての取材がありました(読売新聞と西の風新聞)。
ありがたいことです。

取材の際、どちらの記者の方も興味をもたれた展示品が、吉川英治から長男英明に宛てた書簡でした。

これは、英明(現当館館長)がNHKに就職し、記者として大阪に赴任していた時に、書き送った書簡です。
昭和36年8月7日付と同9月10日付の2通の書簡を当館でお預かりしているので、その2点を展示しています。

吉川英治は、40代半ばを過ぎてから実子を得たので、70歳で世を去った時でも、4人いる子供たちの年齢はまだ若く、英治存命中に就職したのは英明ただ一人でした。
男親として息子の就職には格別な思いがあったのでしょう、手紙の文面からは、我が子が社会人の一歩を踏み出したことへの喜びとその生活への気遣いとが伝わってきます。

さて、そんな文面の中に、こんな一節があります(8月7日付の方)。

けちなサラリーマンたいぷ すがれた記者臭 わるずれた報道人型 そんなたいぷにとッつかれるなよ 吉川英明であってくれよ

作家として、数多くの記者と接してきたであろう英治が、さりげなく、短い言葉で与えた忠告。
書簡は2通とも、どちらかと言えば他愛のない話題に終始していて、仕事に対することは、同じ手紙にある英明が釜ヶ崎暴動の取材したことについての感想とこの忠告ぐらいですが、あまりくどくどとそういうことを書かないところに、むしろ父親らしさというものを、私は感じます。

取材にいらした記者の方にこの一節をご紹介するというのは、何かいやらしい気もしたのですが、英治の息子への思いがよく見える箇所なので、ご紹介してみました。
幸い面白がってくださったので、ほっとしました。

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2008年8月23日 (土)

企画展「吉川英治の家族愛」

本日から企画展「吉川英治の家族愛」を開催しております。

吉川英治の文学の根底にあるものは、「骨肉愛」であると言われます。
「骨肉愛」、つまり家族への深い愛情こそ、人間・吉川英治の心の軸線でした。
この企画展では終生深く愛した母への慕情、波乱の前半生の原因ともなった父への愛憎、作家生活を支えた妻子への想いなどを、吉川英治自筆の書画や写真、また随筆の抜書きで紹介していきます。

会期は8月23日(土)~9月28日(日)です。

ご紹介文の通り、家族と言っても、英治の両親から子供たちまでの縦の系譜を中心としたものになっています。

ご興味のある方はぜひお運び下さい。

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2008年8月21日 (木)

第10回みたけふるさと祭り

本日から24日まで、上記のイベントが開催されます。

毎年ご紹介していますが、今年も商店会の謝恩抽選会に吉川英治記念館から景品を提供しています。

また、みたけふるさと祭りのパンフレットをご持参いただくと、当館の入場料が割引になりますので、どうぞご利用下さい。

詳しい内容はこちらにどうぞ……って、あれ、青梅市観光協会のサイトに案内が掲載されてないぞ?
去年はあったのに?

しょうがないので、こちらに。

お時間のある方は、ぜひどうぞ。
お待ちしています。

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2008年8月20日 (水)

夏休み

このところ、あちらこちらの写真を撮って、そそくさと帰っていかれる親子連れのお客様が、何組か見受けられます。

夏休みの宿題なんでしょう、きっと。
アリバイ写真なわけですね、要するに。

気持ちはわかるけど、ちゃんと展示も見て欲しいなぁ、とは思いますが、しかし、ここは学校ではありませんから、「これを見ろ!」と強要するのも野暮な話。
自ら求める人が、自分の見識を広げるための施設が博物館であり、アンテナを立てていない人は何も受信できなくても、その人の責任です。

もちろん、それぞれの人のアンテナに何かが引っかかるよう、様々なものを発信するのが、我々の役目なのですが。

それはともかくとして。

それでも、この方々は、入館して、少しでも展示に目を通して下さっているわけですが、先日などは、門の前に子供を立たせて写真を撮ったら、入館せずにさっさと行ってしまった方がいらっしゃいました。

実のところ、珍しいというよりは、たまにいらっしゃるんです、こういう方。

しかし、親が子供にズルを奨励してどうするんでしょう?

これが例えば、子供同士でやって来て、何かゴニョゴニョ相談して、門の前でアリバイ写真だけ撮って帰って行ったのなら、微笑ましいことだと、個人的には思うのです。

サル知恵を働かせて大人の目を盗んで何とかズルをしようとするのは、子供の本能みたいなものですから。

でも、親がそれを奨めてしまっては、なんだか、台無し、って感じがしてしまうのですが。

どうでしょう?

私には子供がいないのでそう思うだけでしょうか?

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2008年8月19日 (火)

円朝謎話

先日の朝日新聞『天声人語』に、三遊亭円朝のことが触れられていました。

円朝のエピソードを吉川英治がどこかに書いていたなと思い、随筆集を見てみると、「折々の記」に収録された『歴史上の人物あれこれ』の中で、概略、こんなことを書いています。

ある時、円朝が山岡鉄舟の自宅に呼ばれたが、帰る段になって、鉄舟から「足を使わないで帰れ」と言われた。
わけがわからずに首をひねる円朝に、鉄舟が「おまえは高座で話をするとき、舌の使い方をいちいち考えて話しているか、舌があるとかないとか意識するか」と言うと、それでなるほどと悟った円朝は、「それではお先に」とスタスタ歩いて帰った。

これが円朝の号≪無舌居士≫の由来だと、英治は書いています。
というより、これは談話筆記なので、そう語っています。

さて、昨日書店に行ったところ、英治が本文中で触れている正岡容の「小説 円朝」と、英治も交流のあった小島政二郎の「円朝」があったので、購入して斜め読みしてみたのですが。

正岡容の「小説 円朝」は、英治が「落語家円朝の半面だけ」と評しているように、明治維新直前までの話なので、こうした話は出てきていません。

一方、小島政二郎の「円朝」ですが、こちらには、似ているけれども全然違う話が出てきます。

ある時、円朝は鉄舟から「あなたは舌でしゃべっているね」と言われる。
鉄舟はそう言ったきり、その答えを明かしてくれない。
自分で悟れと言うことかと理解した円朝は、禅に近づいていく。
やがて、無について一定の信念を得た円朝は、再び鉄舟と会う。
ともに座禅を組んだ後、鉄舟から「舌はどうした」と問われた円朝は、ペロリと舌を出して見せた。
すると鉄舟は筆をとって≪無舌居士≫と書いて円朝に与えた。

どちらかが正しくて、どちらかが間違っているのか、それとも同じ元ネタから派生したもので、どちらも元の話とは違っているのか。

いまのところ、確認できていませんが、英治の方が分が悪い気がしています。

何となくですが。

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2008年8月14日 (木)

ストリートビュー

評判のグーグルのストリートビューを試してみました。

青梅みたいな田舎は適用範囲外だろうと思っていたら、意外にも吉川英治記念館の前を通る吉野街道が、ストリートビュー使用可能になっていました。

こんな感じです。

当館の立地する環境がご理解いただけるでしょうか?

こういう場所に吉川英治記念館はあります。

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2008年8月13日 (水)

招待券

仙台文学館から特別展「草野心平展」のチラシ・ポスターと招待券が送られてきました。

ふと違和感を覚えたので、よく見てみると、招待券は以前製作したものにシールを貼って再利用したものでした。

経費節減のための苦肉の策なのでしょう。

当館も含め、文学館はどこも財政的に厳しいところばかりですから、非常に身につまされます。

特別展・企画展の度にチラシ・ポスターを製作するのは、結構大変です。
それでも、ポスター・チラシは大きさの規格がありますが、入場券などはサイズが特別ですし、特別展・企画展専用のものを作るとなると、ロット数が少なくなるので、単価が高くなってしまうでしょう。

先日送られてきた世田谷文学館の招待券は、「没後5年 宮脇俊三と鉄道紀行展」という内容に合わせて、鉄道の切符を真似たものになっています。
チラシも二つ折りの凝ったもので、お金がかかっていそうな感じがします。

そこへいくと、やはり最近送られてきた徳島県文学書道館の場合はチラシ・ポスターは特別展・企画展ごとにその都度製作するものの、招待券はいつも同じものです。
記憶が正しければ、前橋文学館も同じはず。

事情はそれぞれでしょうが、これが一番良い方法なのかもしれません。

ちなみに、当館は、あくまでも常設展中心で、企画展は小規模で補助的なものという現状なので、チラシ・ポスターは製作していません。

その代わり、このブログ(プロバイダーが無料提供しているもの)で、何とかしようという魂胆。

その魂胆は、あまり成功しているとは言えませんが(苦笑)

そして、招待券は、必要になった時に、通常の入場券に職員が「ご招待」と書かれたスタンプを捺す、という代物。

えーっと、≪アットホームな手作り感覚≫と思っていただけると、大変ありがたいのですが(微笑)

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2008年8月12日 (火)

NHK俳句

以前、吉川英治が関わった≪柚木吉野吟社≫のことを書きました。

これを読んだ「NHK俳句」(教育テレビで放送されている番組のテキスト)の編集担当者の方が吟社に興味を持たれ、取材したいとのお申し入れがありましたので、吟社の方に取次いだところ、取材が実現することになりました。

その取材の結果が、現在発行中の「NHK俳句」9月号に掲載されています。
『となりの句会』というコーナーです。

諸々あって、取材の対象は直接的には柚木梅寿会という地元老人会の俳句部になっていますが、吉川英治が地元に残していった種がどのように成長したかを知ることが出来ます。

ご興味のある方はご一読下さい。

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2008年8月10日 (日)

なんでも鑑定団

昨日、テレビ東京系の人気番組「開運!なんでも鑑定団」の撮影がありました。

実は、今日、青梅市民会館で同番組の「出張!なんでも鑑定団 in 青梅」の収録があるので、周辺の主要施設として取材を受けたものです。

もう、はるか以前になりますが、岡山県の大原町(現・美作市)の武蔵資料館に当館の資料を貸し出し、その関係で同地へ出張した時に、「出張!なんでも鑑定団 in 大原」の収録にぶつかったことがあります。

その時に関係者に聞いた話では、まあ、ほとんどの人はお気づきだろうと思うのですが、現場でいきなり鑑定しているわけではなく、かなり前に、事前に資料をリストアップして、十分調査してから、当日を迎えているんだそうです。

それを知っていたので、撮影スタッフに、「事前にウチに鑑定依頼が来なかったところをみると、吉川英治のものは出なかったんですね?」と尋ねました。

当館では吉川英治の筆跡の鑑定の窓口もしていますから、吉川英治のものが出品されていたら、当然、鑑定依頼があるはずですからね。

すると案の定、「そうなんです」とのお返事。

うーん、ちょっと残念。

川合玉堂さんのものは出ているそうなんですが。

放送日は9月16日(東京での日程です)ということなので、見てみて下さい。

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2008年8月 9日 (土)

地震・雷・火事・親父

昨日、東京多摩東部を震源とする地震がありました。
八王子市や町田市では震度4を観測したそうですが、どの報道を見ても青梅市の名はありません。
ということは震度1以下だったのでしょう。
それにしては結構な揺れでしたが。

その時は気がつきませんでしたが、立てて並べて展示している本が1冊だけ転倒していました。

ホントに震度1?

それにしても、展示の仕方を考えないといけませんね、この程度で倒れるようじゃ。

当館の場合、展示物のほとんどは原稿のように寝かせて展示していますので、あまり揺れに対する警戒はしていませんでした。
それよりも、母屋など古い建物があるので、そちらの方が心配の種ですね。

先日はヒョウ混じりの急な雷雨で、母屋の障子が一部破れたので、直しました。
普通なら雨がかかるはずもないところですが、物凄い暴風雨で、そこまで雨が届いてしまったんですね。
でも、障子で済んで何よりでした。

雷については避雷針が設置してありますが、ヒョウがぶつかってガラス戸が割れたりしたら大変でした。
なにしろ、母屋のガラス戸に使われているガラスは、明治の頃のものと言われていて、今のまっ平らなガラスにはない微妙なゆがみに味があると来館者の方にも好評を得ている代物ですから。

しかし、こういう突発的なものもさることながら、一番気を使うのは火事ですよね、やはり。
扱っているものがほとんど紙であるだけに、それは一番の心配事です。

それなのに、時々、ありえない場所で煙草の吸殻を見つけたりして、うんざりします。

私は煙草を吸いませんが、父親がヘビースモーカーだったので、人が煙草を吸うことにあまり抵抗のない人間です。
まあ、おかげさまで父親は肺ガンになりましたが、それは自己責任というもの。

しかし、他人に被害を及ぼすのは容認できません。

ちゃんと喫煙所を設けてありますから、そこで吸って下さいな。

オトナなんですから。

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2008年8月 5日 (火)

赤い腰紐

吉川英治の「赤い腰紐」の話はどのような本に出ているのか、というお問い合わせがありました。

「赤い腰紐」の話というのは、こんな話です。

明治43年(1910)の末、18歳の英治は横浜の実家を離れ、苦学の決意で東京に出ます。
そして、偶然たどり着いた職業紹介所で紹介された本所菊川町のらせん釘工場で働き始めます。
工場の二階への住み込みでした。
そこに勤めたのは数ヶ月でしたが、その間にたびたび英治の母・いくから、便りが届きました。
また、いくが夜なべで縫ったと思しきシャツや股引などとともに、英治が欲しがっていた本なども小包で送られてきました。
ある時送られてきた小包には、刻み煙草の≪あやめ≫が20匁が入っていました。
10代のうちから親の目を盗んで喫煙していたのを、いくは知っていたのです。
英治には、その小包を縛っている紐に見覚えがありました。
それはメリンスの古ぼけた赤い紐でしたが、いくが使っていた腰紐だったのです。
それを捨て難く思った英治は、ベルト代わりにして、工場で穿くズボンに締めていました。
工員仲間からは、恋人のものなのだろうとからかわれ、工場主は、皆が笑うからそれは捨てなさいと言って、自分のお古のベルトをくれました。
それでも捨てることが出来ずに寝巻の紐に使った。

吉川英治の母親への強い愛慕の念を示すエピソードです。

この話は、自叙伝である「忘れ残りの記」の『上京記』という部分、あるいは随筆集「折々の記」所収の『雉子郎物語』の中で言及されています。
実は両者で細部に食い違いがあるので、上の要約は両者を混ぜ合わせました。

ちなみに、検索してみると、2、3のサイトでこの話が紹介されています。

どれも微妙に細部が違うのですが、どうも扇谷正造氏か誰かの文章を引用元としているようです。
確認を取っていないので確証はありませんが。

いずれにせよ、本人の文章に基づくと、上記のような話になります。

電話ではとっさに「忘れ残りの記」しかご紹介しなかったので、念のため、書いておきます。

なお、「忘れ残りの記」は講談社が発行している吉川英治歴史時代文庫で現在も刊行中ですが、「折々の記」は吉川英治記念館のみでの販売になります。

購入をご希望の方は、吉川英治記念館までお電話下さい。

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2008年8月 3日 (日)

赤塚不二夫さん

昨日、赤塚不二夫さんが亡くなられたとのこと。

いま43歳の私にとっては、子供の頃「おそまつ君」「もーれつア太郎」「ひみつのアッコちゃん」「天才バカボン」といった作品が盛んにテレビで放送されていたので、大変感慨深いものがあります。
ちょうど、いまの時期、子供の夏休みにあわせて再放送したりもしていましたしね、確か。

赤塚さんと言えば、ここ青梅に赤塚不二夫記念館があることをご存知の方も多いのではないでしょうか。

おかげで、市外の方からは、「どうして青梅にあるの?」と尋ねられることもしばしばです。

実のところ、赤塚さんと青梅には特にゆかりはなく、ちょうど≪映画看板のある街≫として町おこしをしていた商店街の方々が、若い頃に映画看板を描く仕事をしていたことがある赤塚さんに着目した、ということのようです。

そのため、青梅に関係のない人物を取り上げるより、もっと青梅の人を世に知らしめるようにするべきなんじゃないか、というような批判の声も、市民の中にはなくもありません。

それはその通りですが、私自身は、赤塚不二夫は顕彰されてしかるべきマンガ家だし、その場所が青梅であっても、別にいいじゃないかと考えています。

青梅を世に知らしめるのは、一介の商店街ではなく、市のなすべき仕事でしょうし。

それはともかく、ご冥福をお祈りいたします。

楽しませてくれて、ありがとうございました。

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2008年8月 2日 (土)

文学散歩

今年の秋に、文学散歩を実施することになりました。

文学館が企画する催しとしては、文学散歩は定番とも言えますが、他館の文学散歩を受け入れたことはあるものの、当館が主催するのは初めてです。

正直なところ、集客に不安もありますし。

まずは手始めに、記念館周辺の地域、つまり旧吉野村地区を巡ってみます。

順調にいけば、引き続き内容を変えて実施していく予定です。

詳しくはこちらをご覧下さい。

ご参加をお待ちしています。

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2008年8月 1日 (金)

青梅市納涼花火大会

明日8月2日は、青梅市納涼花火大会が開催されます。
今年で第60回になるのだとか。

打揚発数は3717発だそうです。

そのうちの1発は、当館と紅梅苑が合同で協賛金を出している分です。
正確にいつからかは不明ですが、もう20年来協賛しています。

会場はJR青梅駅の裏の永山グラウンド。
開始時間は午後7時15分。
雨天・強風の場合は3日に延期になります。

お好きな方はぜひどうぞ。

もちろん、花火は夜ですから、昼間は当館で静かに過ごして、夜は花火で賑やかにってことで、いかがでしょうか(笑)

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