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2008年8月 5日 (火)

赤い腰紐

吉川英治の「赤い腰紐」の話はどのような本に出ているのか、というお問い合わせがありました。

「赤い腰紐」の話というのは、こんな話です。

明治43年(1910)の末、18歳の英治は横浜の実家を離れ、苦学の決意で東京に出ます。
そして、偶然たどり着いた職業紹介所で紹介された本所菊川町のらせん釘工場で働き始めます。
工場の二階への住み込みでした。
そこに勤めたのは数ヶ月でしたが、その間にたびたび英治の母・いくから、便りが届きました。
また、いくが夜なべで縫ったと思しきシャツや股引などとともに、英治が欲しがっていた本なども小包で送られてきました。
ある時送られてきた小包には、刻み煙草の≪あやめ≫が20匁が入っていました。
10代のうちから親の目を盗んで喫煙していたのを、いくは知っていたのです。
英治には、その小包を縛っている紐に見覚えがありました。
それはメリンスの古ぼけた赤い紐でしたが、いくが使っていた腰紐だったのです。
それを捨て難く思った英治は、ベルト代わりにして、工場で穿くズボンに締めていました。
工員仲間からは、恋人のものなのだろうとからかわれ、工場主は、皆が笑うからそれは捨てなさいと言って、自分のお古のベルトをくれました。
それでも捨てることが出来ずに寝巻の紐に使った。

吉川英治の母親への強い愛慕の念を示すエピソードです。

この話は、自叙伝である「忘れ残りの記」の『上京記』という部分、あるいは随筆集「折々の記」所収の『雉子郎物語』の中で言及されています。
実は両者で細部に食い違いがあるので、上の要約は両者を混ぜ合わせました。

ちなみに、検索してみると、2、3のサイトでこの話が紹介されています。

どれも微妙に細部が違うのですが、どうも扇谷正造氏か誰かの文章を引用元としているようです。
確認を取っていないので確証はありませんが。

いずれにせよ、本人の文章に基づくと、上記のような話になります。

電話ではとっさに「忘れ残りの記」しかご紹介しなかったので、念のため、書いておきます。

なお、「忘れ残りの記」は講談社が発行している吉川英治歴史時代文庫で現在も刊行中ですが、「折々の記」は吉川英治記念館のみでの販売になります。

購入をご希望の方は、吉川英治記念館までお電話下さい。

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