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2008年8月30日 (土)

釈清鶯帰園童女

これは、吉川英治が亡くなった養女・園子のために自らつけた戒名です。

園子の亡くなった状況については、以前少し触れました

今回の企画展「吉川英治の家族愛」では、その戒名を揮毫した短冊を軸装したものを展示しています。

そこには、戒名に続けて「父英治」の文字があります。

軸には、もう一枚短冊が貼り込まれており、そちらには園子を詠んだ句が書かれています。
その句は

鶯も戦ふ春を高音かな

戒名にもその字が使われているように、≪鶯≫は、まだ10代の少女だった園子のことでしょう。

天皇の料理番で知られる秋山徳蔵によると、園子の消息を訪ね歩いた最後に、秋山の自宅を訪ねた英治は、「親らしいことは何もしてやれなかった」と泣き崩れたそうです。

また、英治の長男・英明(現当館館長)によると、英治の没後、多摩墓地にその遺骨が納骨される際、文子夫人が園子の遺品のマフラーを一緒に埋葬したのだそうです。

よく、親類の子供を養子にする例がありますが、英治と園子の場合はそのパターンではなく、2人に血のつながりはありません。
それでも、そこには紛れもない親子の情愛が存在していたことを感じるエピソードです。

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