« お礼 | トップページ | 溺愛 »

2008年9月10日 (水)

ちょっと嘘つき

企画展『吉川英治の家族愛』でパネル展示するため、吉川英治が家族について書いた随筆を物色していて、ひとつ気がつきました。

「あかんぼの発見」という随筆に、こんな記述があります。

 九年ぶりで、思いがけない赤ン坊が生れた。私の年なので、晩実りすぎる。山本五十六赤ちゃんより、二つも晩い。
 その前に、子どもは男女三人あるが、書斎仕事と赤ン坊とは仲が悪い。すぐ、あっちへ行け行けで、余り抱いたこともなかった。こんどは年のせいであろう。産れ落ちるのからウブ湯まで側でまじまじ見まもっていた。
 どうもシワクチャなものである。赤ン坊とはよく云ったり。だが小人島の老人みたいに見えるのはどうしたものだろう。まもなくクシャミをする。驚いたのは、忽ち欠伸をしたことだ。それは、百年の眠りからいま醒めたといったような悠久を大人に思わす天然な欠伸であった。

これは、昭和25年6月、現在記念館となっている青梅(当時は吉野村)の屋敷で、末娘の香屋子が誕生した時の感想を書いたものです。
「山本五十六赤ちゃんより、二つも晩い」というのは、その時、英治が58歳だったということ。
なるほど、「晩実り」です。
もっとも、その時、文子夫人は30歳ですから、夫人の方からすると、ごく普通ではあるのですが。

さて、英治の長男である吉川英明は、その日の出来事を著書「父 吉川英治」の中でこう書いています。

 聞けば父は、朝、母の陣痛が始まると、心配で仕事も手につかなくなり、家の裏手にある愛宕山に登って、生れたという知らせがあるまで、愛宕神社の石段に腰かけていたそうだ。
「石段を下りる時、よく転びませんでしたね」
 と私達にからかわれたが、からかわれればからかわれるほど上機嫌だった。

お気づきでしょうか?

実は英治は「産れ落ちるのからウブ湯まで側でまじまじ見まもって」などいなかったのです。
心配で心配でそばにいられなかった、というのが、実際のところだったのです。

英明氏の話では、英治の妹のかえ、あるいはちよのどちらかが、屋敷の庭で赤い布を振って、神社境内にいる英治に、無事出産が済んだことを知らせ、それを見た英治が、一目散に石段を駆け下りてきた、のだそうです。

英治が、どうして側で見まもっていたなどと嘘をついたのかわかりません。
ちょっとした見栄でしょうか。

心配で見ていられなかったという話の方が、人間らしい一面が垣間見れて、愉快な感じがするんですけどね。

|

« お礼 | トップページ | 溺愛 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« お礼 | トップページ | 溺愛 »