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2008年9月26日 (金)

夫婦とは

開催中の企画展≪吉川英治の家族愛≫は、今度の日曜日までとなります。

最後に、少し小ネタをご紹介。

家族愛ですから、そこには夫婦愛も含まれます。
吉川英治・文子夫妻の夫婦愛についての簡単な解説パネルを書くにあたって、吉川英治が与謝野晶子から言われたという言葉をその中に引用しました。

何度かこのブログでも触れているように、吉川英治は与謝野晶子と交流がありました。
その事を人に話すと、たいてい驚かれるのですが、その文学のジャンルや方向性に接点が見えないため、想像もつかないからでしょう。

それはさておき、吉川英治は、昭和25年に中山文化研究所で行った「歴史と現代の女性」と題した講演で、以下のような逸話を紹介しています(吉川英治文庫161巻「書斎雑感(講演集)」所収)。

昔私は歌人として有名な与謝野晶子さんを訪ねたことがある。夫の鉄幹先生との間には沢山の子供もあったが、夫婦仲のよいので有名でした。どうしてそんなに仲がよいのかと尋ねると、晶子さんが、
「吉川さん、夫婦愛は創作と同じですよ、その日その日が創作よ」と笑いながら言われたことが今以て忘れられません。

この後、「新・平家物語」のラストシーンのモデルとなった奈良・吉野山で出会った老夫婦(作中に登場するのは講演の時点から7年後のことですが)のことを紹介し、人間の最高の幸せは恋愛ではなく、もっと大事なことは

そしてこの吉野山の男女を理想として、晶子さんのいうように、その日その日を創作して、夫婦愛の完成を図るべきであると信ずる。

と書いています。

未婚の私には全く実感のわかない話ですが、既婚の方はどう思われますか?

何をもって≪夫婦愛の完成≫とするのかにもよるのでしょうが。

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コメント

私は夫婦とは下記に書いている自分の文章のように思われます。 夫婦とは、小さな秘密のようなものです。

夫婦

                        
三崎伸太郎 (ペンネーム)

金が無い。
夫の伸介はまじめな働き者だが金儲けが下手で家計は常に火の車であった。
伸介のほうも夏や冬のバケーション・シーズンになるとアメリカ人や中国人,フィリッピン人などの女性たちが長期の休暇を取り、ヨーロッパやアラスカに行ってきたことなどをオフィスで小耳に挟むと、家で支払いばかりの追われている妻の顔を思い出すのである。
文子は年上の女房である。普通の女性で、夫婦で月の支払いが出来たことで顔を崩して嬉しがるのが幸福と言えば幸福にあたる。
貧乏とはこのようなものであろうか。
しかし夫である伸介のほうは自分たちを貧乏とは思っていない風で、ただ仕事の片手間に絵を画き、芸術とは貧乏であると認識する始末。 本人の弁当は飯に味噌と炒り子と言う始末になっても、一向に経済的なことには無頓着である。 ただ小さな頃に山で炭を焼いていた両親のところに遊びに行き、母親の味噌と飯の弁当がきちんと半分残っており、それを何度も食べたことを思い出しては申し訳ないと自分を責めた。(自作短編夫婦より)

投稿: 佐藤 進 | 2008年10月 2日 (木) 05時32分

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