菊池寛の書簡・続き
菊池寛も吉川英治も馬主であったことは知られていますが、書簡の後半の話題は抽籤馬のこと。
競馬の歴史に詳しくないので細部がよくわかりませんが、抽籤馬というのは、馬主育成のために競り市で買い上げた馬を一定価格で馬主に抽籤で配布するシステムのようです。
その抽籤で当たった馬について、吉川英治の馬に対しては「君の馬は購買価八千円だ(略)お気の毒ながら、これは最低価の馬だ」とくさし、一方、自分の馬は「僕の馬は、はばかりながら、購買価二万六七千円で、北海道馬では、三四番手、全体でも二十番とは下らない。(略)旁々、相当のものである」と、大自慢しているのです。
大人気ない(苦笑)
ところで、この馬のその後について、吉川英治は「蓮如・洗馬・菊池寛」(初出:『富士』昭和23年7月号)という随筆で触れています。
菊池寛は自分の持ち馬には≪トキノ○○○≫という名前をつけていました。
もっとも有名なのは≪トキノチカラ≫ですが、この馬にも≪トキノワダイ≫という名をつけました。
農林省から抽籤で配布された時には、即刻、手紙(いま話題にしているものですね)を送ってきたほどでしたが、
この“トキノワダイ”は、(菊池)氏の在世中は、スタート癖が悪かったり、勝つべきときに惜敗したり、少しも、氏を熱狂させるほどよろこばしたことのない馬である。
ところがどういうものか、そのトキノワダイが、菊池寛が亡くなってまもなく行われた障碍競走で1着になったのです。
勝ちながら、私たちのまわりは、あたりの歓声と反対に、寂然とひそまりかえっていた。“生きていたら”とおもい、“見せたかったなあ”とおもい、友人たちはみな在りし日のことのみ、とたんに思い出されていたのだった。
以前雑誌『優駿』のバックナンバーを調べたことがありますが、このレースの正確な名称と開催日時を明確にすることは出来ませんでした。
なお、このトキノワダイは菊池寛の死去にともない、その名義が吉川英治に移されました。
そして、吉川英治はこれを≪キクヨシ≫と改名しました。
もちろん、菊池寛の≪菊≫と吉川英治の≪吉≫にちなむものです。
そして、昭和23年4月3日の≪農林省賞典中山大障碍≫というレースで2着となっています。
ただ、その後の戦績は、それ以前と同様ふるわなかったようです。
菊池寛が亡くなったのは、昭和23年3月6日。
それから1ヶ月の間だけ、なぜか大活躍したトキノワダイ=キクヨシ。
この「蓮如・洗馬・菊池寛」という随筆は、こんな言葉でくくられています。
一体、私は氏と違って勝負事には弱気である。だから馬など持つことは、結局、無常を知ることになるとはいつも思うが、人生、友をもつことも、無常に会う約束事みたいなものである。
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