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2008年9月15日 (月)

作文

地元の方から面白いものをお預かりしました。

吉川英治は、いま記念館となっている屋敷に住んでいた頃、地元吉野村の子供たちに対し、様々な関わりを持ちました。

そのひとつとして、吉野中学校の卒業生に短冊を贈った話を以前書きました

そこにも書いたように、卒業式の後、吉川英治の屋敷に卒業生たちが集まって、彼らに対して吉川英治が講話をしました。

面白いものというのは、その講話を聞いた生徒が書いた作文なのです。
それをお持ちくださった地元の方の弟が、昭和25年に吉野中学を卒業した当事者だったのです。

作文によると、卒業式の後、すぐに吉川邸に向かい、庭の芝生の上に座って、吉川英治の話を聞き、話が終ると家の中を見せてもらって、学校に戻ったようです。
この生徒だけなのか、全員に対してなのかわかりませんが、帰る時には吉川英治の専用原稿用紙に筆で「吉川英治」とサインしてくれたそうです。
作文はその原稿用紙に書かれています。

さて、興味深いのは、吉川英治が子供たちにどんな話をしたのかが書かれていることです。

この生徒が書き残しているのは、

・自分は子供の頃はあまり良い子ではなかった。
・作家になったそもそものきっかけになったのは芭蕉の句集であった。
・朝顔を洗う時、ライオン歯磨きの袋の裏に句を書いて勉強した。

という話。

自叙伝の「忘れ残りの記」などを思い浮かべると、何となく、どんな話だったのか想像がつきます。

親の金をくすねて不良っぽい友達と遊びに行ったことや、本屋での万引き、家が没落して苦境に陥り生き延びるためとはいえイモ泥棒をしたこと、そんな生活の中で、露店で手に入れた芭蕉の句集によって心慰めたこと、家の事情で学校には通えず、働いて家計を支えなければならなかったが、そのわずかな合い間にも勉強することで、自分の道を切り開くことが出来た……

そんな感じでしょうか。

自分はダメな子だから、貧しいからと諦めず、どんな境遇にあっても努力を怠ってはいけない、小さな努力でも積み重ねることが大事だ、という話だったのでしょう。

しかし、歯を磨きながら袋の裏に句を書くのは、曲芸に近い気もするのですが(微笑)

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