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2008年10月25日 (土)

消える・消えない問答

浅田次郎さんのお話の中で気になった言葉をもうひとつ。

浅田さんは、過去に書いた作品について、いま見ると未熟なところはあるけれど、書き改めたりはしない、のだそうです。

ひとつには、その作品を書いていた当時の自分というものを大事にしたい、からだとか。
その時はその時の最善をつくしたのだから、そのことは認めよう、ということのようです。

もうひとつ、そう考えるようになったのは、音楽家の知り合いから、音楽は一回性の芸術で、いまこの一度しかないものだということを言われたことで、文学もそういうつもりでいないと良いものは書けないのではないか、と考えるようになったという理由もあるようです。

それを聞いて、吉川英治が上記表題の随筆(随筆集「折々の記」所収)に書いていたエピソードを思い出しました。

親交があった六代目尾上菊五郎との間で、こんな会話があったそうです。

「うらやましいな、あんたの仕事は」
「なぜ」
「だって、文章は残るだろ。そこへゆくと、舞台の芸なんて、消えちまうもの」

六代目からこう言われた英治は、こう返します。

「うらやましいナ。君の仕事は」
「ヘエ、何がね」
「だって、舞台の芸は、消えちまうが、書いたものは、消えないもの。残したくないものまで残るもの」
「……あ。そうか」

そう言って笑い合ったそうです。

同じ随筆の中に、「宮本武蔵」の朗読でも知られる徳川夢声の言葉も紹介されています。

テレビ対談に出演することになって、楽屋で硬くなっている英治に対し、夢声は

「講演よりは、ずっと、テレビの方が楽。テレビはね、吉川さん、ヤジられる怖れはない。つかえたら、こう、黙ってポーズしていればよろしい。しくじっても、消えちゃうからいい。ね、テレビは、消えちゃうものですよ。恐いのは、その点、活字ですな。文章はダメ、映画もいけませんな。テレビは消える、おまけに、見る方も、やる方も、まだ出発時代、つまりアンニャモンニャ時代だ。どうです、気楽でしょう」

と、レクチャーしてくれたそうです。

映像を記録するメディアが発達し、ちょっとした発言もたちまち動画サイトにアップされてしまうような現在では、テレビは消えるとはとても言えません。

隔世の感がありますね。

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