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2008年11月30日 (日)

小倉・門司散歩――その6

今回の文学散歩で事前に予定していた場所は、朝日新聞西部本社・延命寺・手向山・御所神社・風師山・門司城・和布刈神社の7ヶ所で、延命寺と延命寺山を混同して素通りしてしまったことを除けば、全て足を運べました。

旅行Ⅱの際に食事に招待され、ふぐを食べた≪豊作≫という店と、宿泊した≪新小倉ホテル≫を訪ねてみたかったのですが、どちらも現在はこの名前では営業していないようで、web上では検索に引っかかりませんでした。
また、松本清張記念館、北九州市立文学館の方々にも尋ねてみたのですが、急な質問だったので、お分かりになる方がいらっしゃいませんでした。
ということで、これらを探すのは断念しました。

さて、和布刈神社までまわった時点で、予定よりはいくらか時間が余ったので、門司港から対岸の下関まで渡船で渡ってみることにしました。

ところで、吉川英治は旅行Ⅰでは下関から寝台車に乗り、旅行Ⅱでは宮島を次に訪問しています。
これらの際、どのようにして本州に渡ったのでしょうか。

調べてみると、関門鉄道トンネルの開業は昭和17年。
関門国道トンネルは昭和33年開通。
関門橋は昭和48年開通。

昭和25年の旅行Ⅱでは、紀行文の文章内容からも、鉄道で関門鉄道トンネルを通ったようです。

しかし、昭和12年の旅行Ⅰでは、上記のいずれもまだ存在していないので、船で渡ったはずですが、その記述はありません。
他に行き方がないので、当然として書かなかったのでしょう。

私が乗船した現在の渡船は門司港から出て下関唐戸港に入港します。
吉川英治が渡った時はどうだったのでしょうか。
トンネルがまだなかったので、鉄道の乗り継ぎを考えると、おそらく下関駅に近い下関港に入港したのでしょう。

そのコースなら巌流島が近くに見えたはずですが、吉川英治はそれについては特に何も書き残していません。
既に日が暮れていて、見えなかったのでしょうか。

ちなみに、私が乗った唐戸へ向かうコースでは、巌流島の様子はよくわかりませんでした。
ほとんど洲のような平らな島なので、背後の彦島にまぎれてしまうのです。

現在は唐戸から巌流島に渡る定期便が運行していますが、巌流島まで行くと帰りの飛行機に間に合わない可能性があるので、あきらめました。
下関側では、大急ぎで赤間神宮に足を運んで、すぐに門司港へ取って返しました。

それにしても船が揺れます。
波しぶきも尋常ではありません。
かつて呉の音戸の瀬戸を訪ねた時に乗った渡船とは全然違います。

潮の流れが合戦を左右したということが、身体で理解できます。

今回は下関側に渡ったものの下関駅には行けませんでしたが、旅行Ⅰの際、下関駅ではちょっとした笑い話が残っています。

下関駅で、吉川英治が不審者として刑事から誰何されたというのです。

何しろ要塞地帯ですから、警戒は厳重だったのでしょう。

まあ、テレビもなかった時代、既に売れっ子の人気作家だった吉川英治の顔を、東京から離れた場所の刑事が知らなくても不思議はありません。

吉川英治は随分ご立腹だったようですが、刑事の方もまさか身長150cmそこそこの小男が、あの「宮本武蔵」を書いた人物だとは、思いもしなかったでしょう。

時代を考えると、笑えるような笑えないような逸話です。

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