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2008年11月24日 (月)

小倉・門司散歩――その2

北九州空港からバスで小倉駅前に到着し、すぐに部会の会場である松本清張記念館に向かって徒歩で移動します。
21日は雨模様でしたので、アーケードのある商店街の中を通って目的地の方向に向かいました。

Img_1527

アーケードが途切れたところで、目の前に大きなビル群が。
写真中央の黒っぽいビルが、朝日新聞西部本社です。

以前このような形でご紹介しましたが、旅行Ⅱの際、吉川英治は当時朝日新聞西部本社に在職中だった松本清張と対面しています。

ただ、松本清張記念館の方に伺ったところ、その当時の西部本社の位置は現在とは違うとのこと。
そこで部会の翌22日にご教示いただいた場所を訪ねてみました.
こんな感じです。

Img_1557_2

住居表示は≪砂津≫、“チャチャタウン”という商業施設の道路向いの一帯です。
何も建物がないのは、道路の拡幅計画のため建物が移転してしまっているためのようです。
ということは、昭和を代表する作家2人が出会った場所は道路の下になってしまうわけですね。

Img_1539

さて、先程のビル群の背後にまわると、そこが小倉城です。

吉川英治が小倉城を訪ねたかどうかは、文章中に記載がないのでわかりません。
というより、記載がないところをみると、どうやら立ち寄らなかったようです。

小倉城は、宮本武蔵の養子・伊織が仕えた大名・小笠原忠真が兵庫の明石から移封されて入った城です。
伊織は忠真の下で家老にまで出世し、武蔵もその伊織の勧めでしばらく小倉に住んでいました。
当然、忠真に小倉城で謁見したこともあったでしょう。

もっとも、そういう縁のある城ではあるものの、小倉城は江戸末期の失火で天守閣を失い、幕末の長州征伐の際に城内を焼失、維新後は軍の関係施設になっていましたから、昭和12年時点で吉川英治がそこを訪ねなくても不思議はありません。

ちなみに、天守閣は、旅行Ⅱよりもさらに後の、昭和34年に再建されたそうです。
その意味では歴史の浅い、新しいものではあるわけですが、と言って背後の新しいビルと組み合わさったこの眺めはどうなのかと思ってしまったりもします。

Img_1547

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コメント

片岡様
こんにちは。
先日、吉川英治の文学散歩で説明していただいて、ありがとうございます。
さて、前にいただいたメールアドレスが間違ったようで、送信できませんでした。なので、ブログに書いたメールアドレスに送信しました。
ご覧ください。

よろしくお願いいたします。

投稿: 金 佳錚 | 2008年11月24日 (月) 18時34分

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